悟るためには、修行や引き寄せの法則など、スピリチュアル的対処法が本当に必要なのか?

悟るために必要なもの

「悟り」というと、どうしても宗教的な概念とか、スピリチュアルな概念に取り込まれてしまいますよね。

  • 「心の中に愛を感じてください」
  • 「あなたそのものが『愛』なんです」
  • 「ありのままの自分を好きになってください」
  • 「『認識を変化』させましょう」
  • 「悟りはすでに自分の中にあります」
  • 「自分のインナーチャイルドに話しかけてみてください」

とかですよね。

 

しかし、こういったものをみると私がよく思うのは「インナーチャイルドって一体なんだよ?」ということです。

 

そのほかにも、

「心の中の愛を感じるってなんだ?」

「ありのままの自分ってなんだ?」

「『あなたはすでに悟っているのです』とか言う先生もいるけど、それってどういうことなんだ?」

スピリチュアルの先生方が話す内容はあまりにも抽象的すぎて、そして観念的すぎるために、ほとんど禅問答のような様相をなしてしまいます。

 

スピリチュアルに関する掲示板とかをみても、もはやどれだけ弁達に優れているかを競っているだけのような感じになっています^^;

うまいことを言ったり、たくさんの人の心にいかに共感を得られるようにするかばかりが先行して、本当に悟りを得るための技術についてはないがしろにされているのではないか、と感じるのです。

 

内面と向き合う必要なんてない

それこそよく、スピリチュアル系の話をきいていますと、

  • 心の中のトラウマが悟りを阻害している
  • 自分の心に蓋をしている
  • 自分の心の痛みと向き合っていない

といった言説がみられます。

 

確かに、自分の心の中の、自分でも気づいていなかった点に気づきを得ることで心の中の盲点(ストコーマ)が外れて、

  • 「ああ、俺はこんなことで悩んでいたのか」
  • 「ああ、私の中には、こんな一面もあったんだな」

というような、小さな「悟り」体験をすることができます。

この気づきの体験は確かに、悟りに近づいていると思います。

 

しかし、こんな面倒なことはしなくても良いと私は思うのです。

いわゆる一般的なスピリチュアル的アプローチである、自分を癒し、自分を愛することで悟りを得る、ということは、間違いではないのですが「それをしなければ悟りを得られない」というものでもありません。

 

つまり、自分を愛したり、神様に祈ったり、インナーチャイルドに許しを得たり、般若心経を唱えたり、感謝をしまくったり、「ありがとう」と1000回唱えたり、トイレ掃除をしたりしなくても、悟ることができます。

 

悟る方法は下記でも説明させていただきましたが、

悟りとは何か? 悟りとは科学的なものだった

ようは思考することをやめれば悟りは開けます。

 

思考がすべての苦悩、煩悩の生みの親です。

この苦悩と煩悩を初めから湧き上がらせなければ、あるいは湧き上がったとしても、それを黙殺してしまえば、悩みや苦しみは発生しません。

 

それこそが悟りの真実です。

これさえ実施できれば、悟ることができます。

 

別に、宇宙の神秘の力を借りたり、悟りのための修行をしたり、あなたの心の内面を見つめなおしてみたり、スピリチュアルにおけるさまざまなトレーニングやセルフクリーニング的なメソッドをしなくても良いのです。

 

すべては幻。

苦悩というのは、思考という幻が見せていた夢にすぎないと気づくことができれば、もうそこは悟りの世界です。

 

難しい顔をして考え込んだり、悟りすました仙人のように振舞ったりしなくても、ただ思考さえ止めることができれば、そこに悟りが存在します。

 

悟りというものが素晴らしい何かだと思わなくてもいいのです。

悟りというのはただ、ある種、単なる脳機能のトレーニングでしかありません。

スピリチュアルなどで神格化された幻想の「悟り」を追いかけるのはやめて、いますぐにも実現可能な、現実的な悟りをいまから目指しませんか。

 

現実的な悟りを体現させてくれる動画

今回、ご紹介したいこの動画は、まさに私が感じている「ただの悟り」を説明してくれるベストな動画でした。

非常に興味深い内容でしたので、ここで紹介させていただきます。

下記からは、内容を整理したコメントをさせていただきますので、よければそちらも合わせて見ながらぜひ、動画をご覧になってみてください。

 

「すべてのものを得た」にも苦しいのはなぜか

ジェフ・リーバーマンさんという方の動画です。

グーグル検索をしますと、同名の脚本家の方が出てきますが、この方は違う方のようです。一方、youtube上でこの名前を検索しますと、たくさんの動画が出てきます。ただ、どれも英語なので理解できません(笑)

したがって、このリーバーマン氏がどういった人物なのかはわかりかねるのですが、あまり気にせずみていくことにしましょう(笑)

 

動画の序盤では、リーバーマンさんが「必要なものすべてを得た」にもかかわらず、苦しみにさいなまれる自分を感じるということが説明されています。

そうなんですよね。

たとえお金をたくさん得ても、それを失う恐怖にさいなまれる。

絶世の美女やイケメンと結婚できても、そこからまた、喧嘩をしたり、うまくいかなくなったり、もめたりします。

たとえ、仲良く暮らしたとしても、最後には死という別れを迎えます。

 

このように、どのように生きても、人生には必ず苦しみがやってきます。

これに気づいたのがブッダです。

ブッダは生きることが「苦」であると断言しました。

 

人は必ず死にます。

死という苦しみには、たとえどんな超人でさえ乗り越えることができません。

たとえ、不老長寿の薬を飲んで、永遠の命を得たとしても、次は生きる苦しみにさいなまれるでしょう。

永遠に生き続けるというのも、苦しいものですから。

 

リーバーマンさんもおそらく、こういったことを考えられたのでしょう。

そして、どこまで行っても、人の人生は「苦」で彩られており、そこから抜け出すことができない、と気づかれたのだと思います。

 

しかしこのリーバーマンさんは、スピリチュアルな手段や宗教的アプローチ、哲学ではなく、その苦しみの根幹を、科学から解明しようとします。

 

人の体は原子やエネルギーの塊でしかない

人間は分子やエネルギーにすぎない

動画の1分20秒ごろからは、人間がただの原子の塊にしかすぎず、さらにいえば、宇宙のあらゆるものはすべてエネルギーにすぎないと説明しています。

 

人の命には限りがありますが、この人の体をエネルギーとしてみれば、そこには宇宙と同じ年齢のエネルギーが飛び交っているだけです。

 

人というのは、厳密には人間ではなく、ただのエネルギーなのです。

 

「思考」していることは「現実」には起こっていないこと

つづいて2分40秒頃からは「思考」についての話題に入っていきます。

思考は「現実」のほかに、もう一つの「架空の世界」を作り出します。

未来や過去といった「想像の世界」です。

 

この想像力が人間を、あらゆる動物の頂点に立つ最強の生き物へと進化させてきました。

 

この意味で「思考」というものは素晴らしいものです。

しかし一方で、思考は、たとえ「考えたくない」とさえ思っているにもかかわらず、半ば強制的に「思考」をさせてきます。

  • 辛い思い出
  • 未来への不安
  • ただ漠然とした悩み
  • 嫉妬

考えたくもないのに、無理に考えさせられます。

そして重要なのは、考えたところで、解決しないということです。

 

しかし、それにもかかわらず、

  • 大丈夫かな
  • 寂しいな
  • 辛いな
  • 彼女欲しいな
  • もっとお金があったらな

と、こんな無益な思考にどんどんさいなまれてしまい、そしてどんどん気持ちが落ち込んでいきます。

 

しかしこのリーバーマンさんは、そういった「思考に取り込まれる自分」を客観的に、そして科学的に観察することで、打開しようと試みます。

たとえば

  • 色は視覚的な効果にすぎないということ
  • 目に映る映像も、映画も、脳の中で構築されているだけのこと
  • 知覚も、思考がただ音として流れているだけのこと

といったことを認識していくことが大事だというのです。

 

リーバーマンさん自身の悟りの体験

リーバーマンさんは、ご自身の悟り体験について、次のように説明しています。

思考や知覚したものへの注意を向けることを止めると、自分の意識の中にある、これらのものに気付いている自分に気付くようになります。

最後には、すべての思考、知覚、体、感覚に注意を向けることを止めると、知覚するものが何もなくなります。

これが自分であると考えていたものが何も残らなくなります。

ただし、私が存在するという感覚だけが残ります。

私は存在する(I Am)が残ります。

(中略)

この状態にあるとき、自分とは知覚を越えたものであるということに気づきました。

(中略)

私は存在する(I Am)は、完全に空の体験です。それは内実を欠いています。

私がそれを直接経験したとき、ものごとが生み出される源がありました。

たぶん、私は意識を持つ人間なのではなく、人間の形をした意識なのです。

 

このリーバーマンさんの説明は、まさに悟りですよね。

彼は、いわゆる愛がどうとか、スピリチュアルパワーがどうとか、そういった観点からではなく、冷静に自分の感覚と向き合った結果、このような悟りの感覚を持たれたのだと思います。

素晴らしいですね。

 

そして悟りを開かれたあとの感覚については次のように語られています。

 

もし自分がエネルギーであることに気づき、体と心はエネルギーの一次的な現れにすぎないと気付けば、体と心が死ぬことはないと分かります。

なぜなら、これまで、そして、これからも自分はエネルギーなのですから。

もしそれを直接体験したなら、満たされるためには何かをしなければならないという頭の中の声は力を失います。

まさにそのとき、もうその声を聞く必要はなくなります。人生はゲームであり、楽しみであり、遊びになるのです。

 

実に良い説明ですね。

過去や未来に一喜一憂したり、悩んだりしなくて良い。

人に認められるために何かをしたり、自分らしさを出そうとしたり、生きる意味を見出そうとしたり、苦労を買ってでもしたり、死ぬ気の努力をしたりしなくても良いのです。

ただ、エネルギーとしての自分の体を、有意義に使いましょうというプランなのです!

 

そしてさらにその体験をするためのコツとして

砂浜で砂のお城を作っていたとき、そのことに夢中で世界は消え去っていました。

そのとき、どこか到達すべき場所はなくなりました。

未来を計画することもなく、今だけがすべてだったのです。

と説明をされています。

こういった説明はスピリチュアルの先生方とあまり変わりませんが、論理的に説明されたあとだと、分かりやすいですよね。

 

ああしなきゃ、こうしなきゃ、こうじゃなきゃ、ああじゃなきゃ、という考えから離れて、いまこのひと時を楽しく生きる。

ここに悟りのヒントがあります。

 

わき上がる思考への対処法

ただ、「このひと時を楽しく生きる」というこというと、「このひと時を楽しく生きなければならない」と考えてしまう方も、いらっしゃいます。

そんな場合の対処法も、実は簡単です。

 

「あ、いま『しなければならない』と考えているな」と気づくことです。

人は、無意識的に思考の波に飲み込まれてしまいます。

 

ですので、いま自分が思考してしまっているかどうかに「気づく」ということがとても大事です。

 

ついついネガティブな悩みや、苦しみに取り込まれてしまいがちな人は、「いま自分が『思考』してしまっていないか」つね日ごろから脳内をチェックすることをお勧めします。

 

思考してしまっている自分に気づいたら、その思考からはリリースされますよね。

 

一般的に、悟りの先生なんかにいわせれば、思考に気づいた後、「感謝しています」とか「ありがとうございます」とか唱えましょうとか、アファメーションを唱えましょうとか、ポジティブな思考を上書きしましょうとか、自分を愛しましょうとか、いろいろな対処法があるようです。

 

しかし、私が思うには、こういったアファメーション等は不要です。

苦しい「思考」に取り込まれたときは、その「思考」に気づくことが大事であり、それ以上のことは必要ありません。

 

よく「その思考から脱しましょう」という先生もいますが、脱しなくていいです。

苦しんでいる思考があることに、気づくだけでいいんです。

なぜなら、その思考はあなたではないから。

 

思考は、あなたの脳が勝手に作り出しているだけで、あなた自身とは無関係です。

 

思考とはいったい何か?

そう断言しますと、「いやいや、思考はあなた自身です。あなたのことをよくわかっています」とおっしゃる方もいます。

 

しかし、よく考えてみて下さい。

たとえば体がガンなどの病気になっても、思考はそれがどういう状態なのか、全く理解しませんよね。

風邪で熱が出たとき、体内から白血球を出して、菌を退治する指令を、思考が出しているでしょうか?

必要なことは、体が勝手にやってくれますよね。

暑いときに汗を出したり、眠いときにあくびをしたり、食べ物を消化したり、けがを治癒したり。

すべてのことは、思考以外がやってくれています。

 

思考にできることなんて、ほとんど何もないのです。

 

ですから、何か困ったときに、思考が助けてくれるとは思わないことです。

もちろん、助けてくれることもあると思いますが、逆に思考によって苦しめられるぐらいならば、思考に振り回されないように、思考をコントロールしていく必要があります。

 

その思考のコントロール法こそ、悟りなのです。

ガンガジが言う「何もしない」「止める」「満たされる」の感覚について

現代にはエックハルト・トールという有名な悟りの先生がいらっしゃいます。

当ブログでは下記の記事で取り上げました。

エックハルト・トールおすすめの瞑想法…雑念で瞑想がうまくできない方へ

 

もう1人、有名な悟りの先生がいらっしゃいます。

ガンガジというおばさんです。

 

 

この「ポケットの中のダイヤモンド」という著書は結構、有名なようです。面白いですよ^^

 

ガンガジ先生のいう「満たされる」とは?

この悟りの先生であるガンガジさんの動画で結構、なるほどなーと思った動画がありましたので、ここで紹介させてください。

 

この動画で最も私が胸を打たれたのは、動画開始30秒ほどのところで、

これはただ単に講演会に参加して、信じる信じない、意見が合う合わないという類のものではありません。

というところです。

この理由については後述します。

 

そしてガンガジは続けます。

「悟り」という言葉はすでに形骸化しているとし、同様に

  • 「気づき」
  • 「自己啓発」
  • 「幸福」

などの言葉も《飽きあきてしまった》とのことです。

「悟り」という言葉は特別な期待をもたせすぎますよね。

なんというか、道が開けるイメージというか、心が解放されるイメージというか。

「目覚める」というような多大な期待をもたせすぎてしまいます。

おおごとすぎるわけです。

ですので、そのかわりにガンガジが使用しているのは、「満たされる」という言葉です。

 

「悟り」はもう古い?

この「満たされる」という言葉が、悟りと同じような意味をもたらしているとガンガジさんは言います。

 

我々はどうしても、悟り、というと、仙人にでもなったような、達観したような、達人のようなイメージを持ってしまいがちです。

しかし、ガンガジさんは悟りに対してそのような超次元的なパワーや期待を持ってはいけないと言っているわけです。

 

悟りということは、そんな大したものではなく、ただ「満たされる」ということです。

満たされる、ということが、悟りだということです。

 

私は全然、満たされていないんだけど?

しかし、そう言われると次に

  • 「私は全然満たされていない」
  • 「私は枯れている」

といった不満が湧いてくると思います。

  • 人生は全然、うまくいっていない
  • もうどうにもならないのに、満たされるわけがない

そう思われているかもしれません。

 

しかし「満たされている」ということはそういったこととは無関係です。

「はあ? そんなわけないだろ」と思われるかもしれませんが、ここで冒頭の言葉に戻ります。

これはただ単に講演会に参加して、信じる信じない、意見が合う合わないという類のものではありません。

これはどういうことかというと、この上記の「信じる信じない」「意見が合う合わない」は、いずれも「自分個人のものさし」ですよね。

「満たされる」というのは、自分個人を超えたところにあります。

悟り=満たされる

つまり、満たされる、という大きな全体の中に、個人の主張ややりとり、意見などがあるということです。

そのことを、ガンガジさんは「信じる信じない」「意見が合う合わない」ではないと言っているわけですね。

「満たされる」というのは、そういった「信じる信じない」などの上位概念だということです。

 

個人の主張を超えた上位概念が「悟り」であり「満たされる」

「信じる信じない」を個人レベルで考えますと、白熱した議論ですが、神様の視点に立つと、「信じる信じない」がどちらであっても、結論は「満たされている」ということになるのです。

「信じる信じない」「意見が合う合わない」は、「満たされている」ことの前では、どちらでも良いことにすぎないわけです。

 

ですから、我々の悩みや、困ったこともすべて「満たされていること」の下にあります。

私たちは、困ったことや、悩むこともあります。

そういったことがゼロになるわけではありません。

生きている以上、何かが起こります。

しかし、それとは関係なく「満たされている」ことが常に我々の心にあるのです。

すでに、いつも、つねに、私たちの心の中に「満たされている」が備わっているのです。

 

それが「悟り」です。

 

ですから、悟りの先生方がみなさん、

  • 「悟りは簡単です」
  • 「悟りはすでに存在しています」
  • 「いま、あなたは悟りの中にいます」

などと言っていて「そんなものねーよ」「ウソっぱち言いやがって」「全然、悟れてねーよ」と思っておられるかもしれませんが、それでもやはり皆さん、実は、悟りの中にいるんです。

戦争やら病気やら、貧乏やら、モテないやら、いろいろな悩みはあると思います。

しかし、悟り、はそれとは関係なく、つねにあなたには存在しています。

 

いま、ここで、この瞬間に、幸せ・不幸にかかわらず、悟っているというのは、そういうことなのです。

 

「満たされる」感覚を大事にして生きることが「悟り」

「いや、それはわかったけど、いくら悟っても全然、幸せじゃないんですけど?」と思われるかもしれません。

 

もちろん、最初はそういう感覚が強いかもしれませんが、個人レベルの視点を変えて、「満たされている」感覚の方に心を置く時間を長くしてみてください。

毎日、ふと気がついたときに、心を「満たされている」空間にシフトしてみるんです。

個人の主張のレベルではなく、もっと抽象的な(抽象度の高い)感覚の中に、自分を置くわけですね。

難しい言い方をしていますが、ようはもっと、ボーッとしている、という感覚です。

 

そうすると、心の中の安らぎというか、安らかな自分の呼吸音や周りの音がリアルに感じられるようになると思います。

それとともに、心も少しずつ、軽くなっていくのではないでしょうか。

 

ガンガジさんはよく、悟るためには、

  • 「何もしないこと」
  • 「『何かする』ことをやめること」

というお話をされます。

これって結局は上記のことと同じことであり、つながっている考えだと思います。

 

まとめ

依然として、個人レベルでは悩み、問題、苦しみは存在していると思います。

しかし、それと同時に「満たされている」のオーラも浴びることができます。

現況がたとえ苦しくても、この「満たされている」感覚を大事にして生きることが、生きる助けにはなるのではないかなと思います。

丸尾孝俊氏は資産4000億円! 出版本「大富豪アニキの教え」に学ぶお金儲け語録

「大富豪アニキの教え」という本があります。

丸尾孝俊さんという人の本です。

 

この丸尾さんという人は、いまではもう有名かもしれません。

元は暴走族の総長。

ほぼ無一文で、夜逃げ同然でバリ島に移住。

貧乏な生活をしているにもかかわらず、現地住民にお金を貸しまくり、有り金をはたいた代わりに得たのが、ゴミのような土地の権利書。

しかしこの土地がのちに急騰し、大金持ちに。

その後、多くの事業をバリで立ち上げながら、現地に学校や病院を建てるほか、多くの子供の里親になり、大金持ちであるとともに、地域貢献を行っている。

 

そして、色々な日本人に、成功するためのアドバイス、生き方について語っておられ、信奉する方も多いようです。

 

そんな立派な方ですが、なかなか面白い方のようです。

ではこの一見怪しい、丸尾さんの著書「大富豪アニキの教え」をもとに、彼の話は本当なのか、そして本当にお金持ちになれるのか?

を検証していきたいと思います。

 

丸尾孝俊さんは本や映画のモデルにもなられています

丸尾の兄貴は、テレビドラマになった「夢をかなえるゾウ」に登場するアドバイザーのガネーシャのモデルでもあります。

また、丸尾さんのことは堤真一さん、尾野真千子さん主演で「神様はバリにいる」という映画にもなりました。

兄貴を演じているのが堤さんです。陳腐そうな感じの映画ですが、内容はしっかりしており、兄貴の良さを堤さんが見事に引き出しています。

B級映画感が丸出しではあるのですが(笑)、B級映画のような仕上がりにはなっていません。面白いですよ。

 

丸尾孝俊さんは強面ですが、仏教的・宗教的な価値観を持たれています

丸尾さんは、上の動画をご覧いただければかなり強面で、怖そうな、ヤ○ザ風の男性ですが、お話をされている内容は仏教観にも通じる、実に意外な面白いお話です。

たとえば、

「『相手を自分ごとのように大切にする心』が大事」だとおっしゃいます。

 

丸尾さん=兄貴を訪ねてやってきた本の主人公である「いっちゃん」が

「僕も価値観的に違うところが見え隠れすると、そこだけ、特に気になってしまいます。この人は僕と『違う』って…」

と言うと、丸尾の兄貴は

「それ、違うねん。100%性格とか好みが一致する人なんかいてないのやから、『自分との違い』を必死のパッチで見つけて分類ばかりしていたら、本当に少数の人としか、仲よくなれないやん。そうでなくて、相手との共通点を探してかかるんや。一見、『コイツはオレと違う』と思えるようなヤツでさえ、『相手を自分ごとのように大切にする心』を持ってすれば、共通点は目白押しで見つかるもんやしな、『つながり』も『絆』も『ご縁』も、共通点から育まれるんやて」

と、ご縁や絆の重要性を主張します。

 

お金の使い方についてでは、

「あのな、いっちゃん。『人のためにお金を使い続ける』ことをやり続けるべきなんやな。そしたらな、必ず『自分が豊かになる』から」

と述べます。

後輩にご飯をおごってあげると、後輩は先輩にとても大切にされていると感謝し、そして先輩のために恩を返してくれるようになり、そしてその後輩も、自分の後輩の面倒をみるようになると言います。

「それが『相手を自分ごとのように大切にする心(=つながり・ご縁・絆)』になっていくねんて」

こう兄貴は言います。

 

おごりたくても、おごるお金がない場合は、副業やアルバイトすることを勧めています。そうしてでもおごるべきだと主張するのです。

そして兄貴はさらに驚くべきことを言います。

「相手を大切にする心はな、後輩だけではない、『神様』の心にも届いてるんやて」

これは結構、ぶっとび理論ですが、兄貴は続けます。

「『人のためにお金を使い続ける』人間を神様が見捨てるやろか? あ〜、せやないなぁ。もしオレが神様なら、そんなええやつ、絶対に見捨てないで。そしたら、神様やったら、そんなええやつ、どうしたる?」

「そんなええやつ、神様ならな、豊かにしたるに決まっとるで、大富豪にしたるに決まっとるがな。せやろ? せやからな、いっちゃん。『人を豊かにすること』、『人のためにお金を使い続けること』を繰り返すべきなんやて。そっちのほうが人からも目立つしな……、それにな、神様、絶対に見てるんやて」

 

仏教は「神様はいない」という宗教ですので、厳密に言えば「神様が見捨てない」というのは仏教観とは少し違いますし、丸尾さんは仏教徒ではないと思いますが、こういった宗教的な思想が、丸尾の兄貴の根底にはあるようです。

 

たしかに、こういった「お天道様が見ている」といったことは、宗教は不要だと考える私でも、大事ではないかな? と私は思います。

結局、自分が善行を働くこと、あるいは倫理的・道徳的に行動するということの中には「こんなことをするのは「人としてどうなの?」「もし自分がされたらどう思うの?」「神様がもしいたとして、許してくれるの?」と、いうように考えを巡らすから、真面目に生きるのであって、迷った時の指針として、自分を超えた視点で考えてみることはとても大事だと思います。

 

ブッダもこういった自分を超えた視点で物事をみていたことは間違いないと思います。

ちなみに、脳機能学者の苫米地英人氏によると、高い視点で物事をみることを「抽象度を上げて考える」と言うようです。

 

つまり、こういったつながりを大事にすることは、抽象度を上げて考える視点をもつということでもあるわけです。

 

  • 利己的に考える=自分のことだけを考える=視点が低い
  • 自分と相手のことを考える=自分だけの視点では損でも、2人の関係は良好になる=視点が高い

このように、抽象度の高い視点で物事をみることが、お金儲けにつながるのだと兄貴は述べているわけです。

 

大富豪アニキの教えから学べること

さて、つぎは動画に話を移していきましょう。

上記の動画も、実に示唆的で面白いです。ぜひ見てみてください。

上まで戻るのが面倒だと思いますので、同じ動画を下記に貼りますね(笑)

さて、動画ではいきなり上半身裸でタトゥーを入れた体、そしてガラガラのダミ声は完全にヤ○ザとかそっち系の雰囲気のおっさんが登場します。

これこそが丸尾孝俊の兄貴です(笑)

まあ、あまり気にせずご覧下さい^^;

 

動画開始2分、どうすれば豊かになれるのか? つまり、お金持ちになれるのか、という質問に対し、

「豊かな人を、豊かにしないといけない」

と、兄貴は答えます。

兄貴自身、豊かな人を豊かにすることで、さらにお金が回り、多くの孤児を救うことができたそうです。また、

「神様視点で考えろ」

と、ここでも兄貴は神様を持ち出して説明します。神様は、

「より多くの人が豊かになれることを応援するようになっている」

そう主張します。

これも抽象度を上げた視点についての話ですね。「神様ならどう思うか?」ということを天秤にかけて考えるなど、このような宗教観が兄貴の根底を支えていることは間違いないですが、この考え方が結果的に、高い視点で物事を見るトレーニングになっているのだと思います。

 

その他にも多くのエピソードを語られますが、面白いのがこの撮影の場所ですよね。

これは兄貴のバリにある家ですが、おそらく、たくさんの人が出入りしていて、毎日大勢の人と寝食をともにしているようです。

本にも書かれていますが、この丸尾の兄貴は、人をどんどん招き入れて、宴会をし、そして豪華なホテルに泊めてあげ、たくさんの人たちにアドバイスを送っているそうです。

こういう暮らしは、昔は日本でもあったそうです。

しかし、いまや無くなってしまった。

その懐かしい風景がバリ島にはあり、その空気、風土を浴びることを、兄貴は大事にしています。

そしてこの生活を、多くの日本人に伝えたいという思いがあるようです。

だから、このようにして多くの人を招き、毎日のようにアドバイスを送っているのです。

 

そのためにも「遠慮ゼロ」で関わること。

それが大事だと兄貴は主張しています。

 

そして動画開始11分、「兄貴の仕事がうまくいきだした原因」について質問が飛びます。

兄貴の回答は、その仕事に対する、

「思い入れの時間の長さ」

だそうです。

思い入れが長いと、いろいろと工夫をするようになるからだと言います。

丸尾の兄貴によると、工夫しまくる自分はエジプトでいうと「クフ王」らしいです(笑)

なかなかウマイですね(笑)

 

それでは最後に、上記以外の丸尾さん流のお金儲けの方法について2点まとめて書きます。それは

  • 縁結びの神様になる
  • 1日14時間以上働く

です。

では、書いていきましょう。

 

縁結びの神様になる

上記でも述べましたように、兄貴はつながり・ご縁・絆を大切にしており、それをきっかけにして豊かになることができると主張しています。

では『大富豪アニキの教え』の著書から再び印象していきましょう。

「つまりな、人と人を結びつけることによってな、『ご縁つなぎ料(紹介料)』というものが、いろんな形で入ってくるんやて。たとえばな、自分が保険屋さんだったとするやろ。でも、いきなり『保険に入ってください!』じゃ、保険も売れないやろ? そんときにな、『定年したらバリ島に住みたい』という人に『バリ島に知り合いがいるので、いろいろ相談にのってくれるかもしれませんよ』と言って、バリ島の友達を紹介する(ご縁をつなぐ)んやて」

「するとな、『キミ、ありがとう。バリ島に住むにはどうしたらいいか、いろいろ聞くことができたよ。キミはたしか、保険のセールスマンだったよね。恩返しに、キミから保険に入るよ』とかなったりするんや。せやろ?」

「すると、自分のところに『ご縁つなぎ料(紹介料)』が入るやんけ。あのな、相手から『保険の話』が出るまでは、いっさい、保険の『ほの字』も出さないというのがポイントなんや。そんなもん、出してしまったら、いやらしいやろ」

 

なるほど、結構、具体的なテクニックです。ほかにも例として、

  • 幼稚園を紹介する
  • 病院を紹介する
  • 学習塾を紹介する

などをあげておられます。

 

このように、紹介に紹介を重ねていくと「ご縁つなぎ料(紹介料)」が入ってくるとしています。保険会社であれば保険の契約を、自動車会社であれば、新車購入の注文を、というように、紹介を重ねることで、結果ができていくのだとしています。

このご縁つなぎをしているうちに、そのうちお金持ちとつながることができると丸尾の兄貴はいいます。

 

その説明の部分を本から引用しますと

「もし、その幼稚園に子供を入園させることができた親御さんが、ウルトラ大富豪でな、そのウルトラ大富豪にバッチリ気に入られたとしたら、パーンと一発で、大逆転やんけ。それで、アガリや」

また、最初の段階では利益は全くでず、後々、返ってくるものなので、それまで継続を続けることが大事なのだそうです。

この考え方は、人のためにお金を使う、後輩におごりまくる、などと同じ考えですね。

兄貴は、自身のこれまでを振り返り、

「そら、ウルトラ貧乏やて。でも、お金を貸していた数十人の中の1人が土地で返してくれてな、ごっつい安い荒地やったけれど、その土地が2年後に、なんと、ウルトラ大化けして、『3億円近く』で売れて、そこから、オレも大富豪デビューやて。でもな、オレかて、デビューするまでに、日本にいたときから数えて、いった何年かかったと思うてんねん、どれだけおごりまくったかという話やねんて」

 兄貴はガハハハッ、と大声で笑った。

だとし、このご縁をつなぐ行動を、とにかく継続することがとても大事だと主張されています。

 

「1日14時間以上」働く

そして『大富豪アニキの教え』による稼ぐ方法その2ですが、それはなんと単純、1日14時間以上働くことらしいです(笑)

これはまたなんともシンプルですね(笑)

 

本の中で、兄貴はいいます。

「あのな、いっちゃん。本当にゼロから大成功した人間に聞いてみるとええがな。ゼロからはじめてな、1日8時間の、お決まりの仕事を月曜日〜金曜日の平日、ただこなすだけで、大成功できるわけないんやて。いっちゃんだって、そう思うやろ?」

しかし、いっちゃんは食い下がります。もっと簡単に大儲けできる「必殺技」はないのか、と。

「ないな…残念ながら。そんな『必殺技』があってな、ポーンと大成功できるなら、みんなそうするやろ。そんなものは、どこにもないから、そんなふうにならないんやて。今まで、いっちゃんに話したことをな、一つひとつやりながら1日14時間以上ガッツリ働くんやて。人より長時間働くというのを、積み重ね続けた先に成功があんのやて。『継続・続ける』や。なんでも続けることが大切なんやて。オレかて、はじめはそうやったんや…」

兄貴、急に実直ですね(笑)

ここでウルトラな必殺技を出さず、地道な努力を進めるところが、なんだか信頼できますね。

ここで「銀行からうまくお金を借りて、借金というリスクを背負いながら一発逆転で不動産投資をしろ」とか「オレが融資したるから、一発逆転のビジネスに挑戦してみろ」とか「オレに金を預けてくれたらその金を2倍にしたるわ」

みたいなことを言われたらもう、興ざめどころのレベルではないですが、そういうことを言わずに、14時間働け、と物理的な努力を勧めるあたり、なにか一番リアルで実直なアドバイスに個人的には感じました。

 

ただ、単に14時間働くのではなく、もし長時間働くのであれば「人に会いまくれる仕事」をするべきだと主張しています。

これは上記で述べましたとおり、つながり、ご縁、絆を育むことが、お金儲けにつながるというのが丸尾の兄貴の考えですので、セミナーの運営会社とか、夜のクラブで働くとかして、人とのつながりを持つことを強調しておられます。

 

だいたい、丸尾の兄貴式の儲け方が、お分かりになりましたでしょうか?

 

まとめ

この兄貴の教えどおりにやればいい、兄貴の考えこそ正しい、とは私も思いません。

しかし、この兄貴の考えはスピリチュアル的な考えもありつつ、努力も重視されており、バランスのとれた考え方ではないかなと思います。

 

兄貴もおそらく、自分で考え、自分でこたえを出すことを大事に考えていると思いますので、兄貴の言葉を真に受けず、応用して考えていくことも大事でしょうね。

 

ちなみに、この本にはロブスターやら、上海ガニやらナシゴレンを食べるシーンがあるのですが、めっちゃ美味しそうなので羨ましいですね。

丸尾の兄貴は別にしても、バリ島に行ってみたくなります^^;

エックハルト・トールおすすめの瞑想法…雑念で瞑想がうまくできない方へ

雑念で瞑想がうまくできない

瞑想というと、どうしても難しく考えてしまいますよね。

でも、ブッダに言わせれば「考える」から難しくなるんだから、「考えることをやめる」ことだね、という感じでしょうね^^;

 

頭ではわかっているのですが、なかなか実践が難しいです。

ですので今回、現代の悟りの名人であるエックハルト・トールさんの動画で瞑想を勉強していきたいと思います。

 

 

エックハルト・トール氏、絶好調のもよう

スピリチュアルの先生は、みんな怪しいんですけれど、エックハルト・トールさんの動画は、とても参考になります。

 

この動画は、エックハルト・トールさんの絶好調な感じの動画ですね。

お客さんにウケまくっています。

なかなかノリのよいお客さんが多いみたいで、心なしかトールさんも楽しそうですね。

とまあ、前置きはこの辺にして、動画の内容に入っていきましょう。

 

うまく瞑想をしたければ「瞑想をする」と考えないだって!?

はじめにトールさんはこんなことをおっしゃっています。

うまく瞑想するためには「瞑想をする」という考えがかなり邪魔なものになります。

いきなりこのセリフでウケています。

うまく瞑想をするには「瞑想をする」と考えない方がよい、というのは一見、矛盾を抱えた言い方ですから、ウケちゃうのも無理はないことですね。

 

しかし、これは一体どういうことでしょうか?

トール氏は続けます。

「瞑想」という言葉についている先入観、期待をなくしていきましょう

瞑想というのは、決して「新しい自分に目覚める」とか「宇宙エネルギーを蓄えて、健康になる」とか、そういったものではありません。

そういった考えをもってしまうのは、自我(エゴ)の仕業であり、このエゴがこういったチャチャを入れてくるので、瞑想が失敗し、悟りに至れなくなるのです。

 

瞑想というのは、このエゴのチャチャ入れを封殺するためのものですから、いかにもスピリチュアルウケしそうな、魔法的な力やチャクラがどうとか、そういったことは考えるべきではありません。

そういったことはすべて雑念です。

 

瞑想の本質は、無になることです。

無になることができれば、悟りを得ることができます。

 

ですから、いかにして恣意的に無になるか、ということを考えたものが瞑想ですので、ここはもう「瞑想」などと言わずに「無になること」という風に瞑想を言い換えた方が、自然かもしれません。

詳しくは、下記の記事をご参照ください。

歩きながらでも瞑想はできる? 「止観瞑想」のやり方

 

瞑想は、無になるためのもので、宇宙パワーが得られたりするものではない

そして続けてトール氏は

一般的に「瞑想」は「するもの」だと思われています。色々ある活動のひとつです。

(中略)

「するもの」とは関係ありません。「するもの」ではありません。

「瞑想」とは「気づき」です。

「気づき」=「あなたという存在の本質」です。

(中略)

すべての行動に先立ってあるものです。思考や感情以前にあるものです。

これはつまり、私がご説明させていただいた、瞑想が「宇宙パワー」のようなものを奮い立たせるものではないという話ですね。

 

瞑想が「何か」をもたらすわけではありません。むしろそういった「何かしらのモノ」に先立っているものだということです。

何かが起こる、何かが湧き立つ、そういった「何か」の前の段階にいること。

これが瞑想の本質です。

 

ポイント:瞑想は「すべてをやめる」もの

瞑想はすべてを投げ出すもの

トール氏は「『するもの』とは関係ありません」という説明のとき「Do」ではない、という説明の仕方をしています。

これはとてもわかりやすいですね。

「Do」であることすべてを、やめること。これが瞑想です。

意味のあることは何もしないのです。

瞑想で何かを得られるわけではなく、むしろ何もかもを捨てるために、瞑想をするのです。

 

ポイント:達観するために瞑想をするわけではない、達観もエゴの妄想

ですからトール氏はいいます。

「本当のあなたに気づく」ということではありません

 

また、宇宙全体の中であなたがという小さな存在がどのような位置付けにあるかに気づくことでもありません

そう、こういった漫画に登場しそうな「劇的な変化」「劇的な何か」は、すべてエゴによる妄想です。

  • 「いま、すべてがわかった!」
  • 「私は悟りを得たのだ!」
  • 「そうか、そうだったのか!」

こういった達観するような感覚はすべて妄想です。

こういった妄想を叩き潰して、妄想が起こる前の段階に脳を維持させること、これが無の境地であり、瞑想の極意であり、悟りです。

 

ポイント:瞑想をしても、何か新しい発見があるわけではない

頭でなにひとつ理解する必要もなく完全性とひとつになるということです

完全性とひとつになる、という言い方がまた劇的な言い方なので勘違いしてしまいがちですが、ようは

  • 理解したい
  • わかりたい
  • 考えを明らかにしたい

こういった「合点を得たい」という気持ちがあり、そして合点を得たときに、悟りが開けるのだと思ってしまいがちですが、そんな劇的なことは何一つ起こりません。

そういった思考が起こる以前の段階のまま、毎日を過ごすこと。

それが悟りです。

 

瞑想に関するエックハルト・トール氏の実践的なアドバイス

瞑想の練習

トール氏は瞑想をするにあたり、興味深いアドバイスをしてくれています。それは、

一瞬でもいいから「過去と未来はない」ふりをしてみることです

とのこと。

 

このことを理解するためには、ぜひ下記の記事をご覧になってみてください。

悟りとは何か? 悟りとは科学的なものだった

この記事には、なぜ過去と未来のことを考えない方がよいのか、について書いています。

この記事を読んでいただければ、トール氏の説明が、実に科学的だということがわかります。

 

読むのが面倒臭いという方に簡単に説明しますと、エゴは未来のために、今があると考えるのです。

今がいくら辛くても、未来のために頑張るのだと。

しかし、いつまでたっても、その「幸せな今」はやってこないのです。

仮に幸せがやってきたとしてもエゴは「その幸せがいつまで続くと思っているんだ? さあ、未来のためにもうひと頑張りすることだ」と、いつまでも永遠にけしかけてくるのです。

 

そして、過去を振り返り「あんなこともあった」「こんなこともあった」と後悔させて、それをまた未来への原動力に駆り立ててきます。

こんなことをしていたら、永久に幸せにはなれません。

 

ですからトール氏や悟りの先生のみなさんは、そんな過去や未来のことを考えるのをやめよう、とおっしゃるのです。

なぜなら、過去はもう二度とやってこないし、未来もまだやってきていなのです。

どちらも妄想の世界であり、存在するのは「今」だけだからです。

「今」に集中することこそ、瞑想の極意であり、悟りです。

 

自我が騒ぎ立たないように、過去と未来がない「ふり」をする

そしてまたここでトールさんは面白いことをおっしゃっています。

「ふりをしてみてください」と言ったのでみなさん、ついてこれていると思います。もし私が「過去も未来もない」と言っていたとしたら、みなさんの中には、いきなり「なんだって!?」「これが終わったらサイン会をするんですよね?」と思考が回りだす人もいたでしょう

これも実に示唆に富んだジョークですね。

実際には、過去も未来も「今ここ」にはないわけですから、存在していないのですが、過去と未来を頼りにして生きている自我=思考は、「過去も未来もない」と言ってしまうと、とたんにざわつきだすわけです。

 

過去も未来もないだって!? じゃあなにを指針にして生きたらいいんだ!? と。

 

ですから「ふりをしてみる」ことが効果的だとトール氏は言うんですね。「ふり」であれば、エゴもそこまでざわつきませんから。

エゴは思っているわけです「『ふり』であるならいいや」と。

 

頭で考え始めた途端、マインドの世界にそれていってしまうのです

これはつまり、現実という世界から逃げて、妄想の世界にふけってしまう、ということですね。

思考は現れると、あなたの注目を引っぱり込み、それであなたは考え始めるわけです

考え始めると、思考にあなた自身が乗っ取られ、すべて自我のいうまま、思うままにあなたがコントロールされてしまうのです。

 

瞑想というのは、思考をもたらす自我に自分を乗っ取られないよう、自身をありのままに保つための訓練なんですね。

無になることで、物事の本質が見えてくるわけです。

 

この動画の最後で、トール氏はこう締めくくっています。

「今ここ」だけがあります

と。

 

来世や死後の世界はあるのか? イスラム過激派による自爆テロと「天国」思想との関連とは

死後の世界 天国

前世や来世って、もしあれば、と思うとワクワクしますよね。

前世はどんな人生だったのだろう?

来世はどんな人生を送るのだろう?

 

とくに、来世については気がかりではないでしょうか?

いま不遇の人生であればあるほど「来世こそは幸せになりたい」

こう思われるのではないでしょうか?

 

  • 来世には大金持ちの家に生まれたい。
  • 来世こそはプロ野球選手になりたい。

このような期待を持つ方も多いのではないでしょうか。

かくゆう私だって、全くの別の人生も歩んでみたいと考えているひとりです。

 

しかし、この来世思想ってとても危険だってご存知ですか?

 

私も知りませんでしたが、いまIS、イスラム過激派が自爆テロを行っているのは、この来世や「天国がある」という思想によるものだったって、ご存知でしたか?

その恐るべき事実について、詳しくみていきましょう。

 

もしあなたの来世が幸せだと決まっていたとしたら

来世思想の良い点

さて、前世や来世の話はとても楽しいのですが、この思想がどうして危険なのでしょうか。

その理由はお分かりになりますか。

 

たとえばあなたの目の前に、全知全能の神が現れたとします。

その神が言うことは、すべて本当のことだとします。

そしてその神があなたに向かって「あなたは、来世では大金持ちで、イケメン(美女)と結婚し、幸せに暮らすことが約束されています」と言われたとします。

 

するとあなたは、どうお考えになりますか?

まず、この今の人生に対する苦痛が和らぎますよね。

この点は来世思想の良い面です。

 

今の人生に対する辛さが和らいで、少しほっとして生きることができます。

「もしこの人生がダメでも、次は幸せなんだ。じゃあもう、今が辛くても前向きに生きていこう」

そう考えることができますよね。

 

来世思想が悪用される!?

しかし、一方で昔の権力者や悪い人は、この思想を悪用しました。

つまり、農民に重税を課しますよね。

それでもう農民は首が回らない状態で、とても苦しくなってしまいます。

その怒りの矛先が王様に向かってしまったら、一揆が起こってしまいます。

 

ですから王様は、怒りの矛先が向かないように宗教をガス抜きの道具にしたのです。

つまり、宗教家を使って農民に「今、苦労すれば苦労するほど、来世は幸せになれる」と伝導して回るわけです。

 

そうなると、農民は知識がないですから、それを信じます。

「じゃあ、来世に期待して、今は苦労して頑張るか」と考えるわけです。

こうして王様はうまく農民を騙し、統治を固めていたのです。

悪いですね。

 

ニーチェのいう「ルサンチマン」とは

ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェは、キリスト教がこのような使われ方をしてきた、と指摘しました。

ニーチェの言い方でいうと怨恨(ルサンチマン)です。

このルサンチマンというのは、弱者の遠吠えということです。

 

キリスト教というのは「弱者こそ本当の苦しみを知っているから、幸せなんだ」という使われ方をしてきたとニーチェは言うのです。

「『弱者でよかった』と考えるのは、強者の思う壺じゃないか」とニーチェは指摘するのです。

 

キリスト教というのは、反骨心を萎えさせて、弱者を弱者のままに留まらせる使い方をされてきたというわけです。

これは実に興味深い指摘ですよね。ニーチェは勉強になります。

 

▼そのほかのニーチェの記事

仏教はニヒリズムなのか? ニーチェの「永劫回帰」から読み解く

 

来世や死後の世界が、なぜ自爆テロを引き起こすのか

来世や死後の世界の危険性

そしてさらに悪い使われ方が、イスラム過激派などによる使われ方です。

 

我々の一般的な通念では、自爆テロなんて、とてもじゃないですが、できませんよね^^;

めちゃくちゃ怖いじゃないですか。

そして「なんで死ななければならないのだ?」と思います。

 

たとえば戦争になって「殺さなければ殺される」という状況であれば、命を賭して戦う意義はあると思いますが、わざわざ死ぬために戦うというのは、ある種の宗教的な力がなければ、とてもじゃないができません。

特攻部隊も、「天皇」や「靖国」といった宗教的な思想があったから、可能だったのです。しかし、特攻隊は戦時行為ですから、無差別テロではありませんので、イスラム過激派と同じにするわけにはいきません。

 

  • 自爆テロがなぜできてしまうのか?
  • その心理とは一体どういったものなのか?

これについてはもう勘の良い方であればお気づきかと思います。

 

つまり「今苦しければ、来世で幸せになれる」という思想があれば、いま自爆テロをしたって、ある意味でなんて事もないわけです。

本人は聖戦(ジハード)を戦っているつもりですから、自分は来世で幸せになれるに決まっていると思い込んでいます。

 

ちなみに、イスラム過激派と、イスラム教は関係がありません。イスラム教はイスラム教です。イスラム過激派は、テロ組織です。

ここで私が言うイスラム過激派の宗教思想というのは、イスラム教の思想とは関係ありません。

私がここで危険と書いているのは、イスラム過激派の宗教思想です。

 

彼らは、自爆テロをすることで

  • 来世で幸せになれる
  • これは正しいことだ
  • 英雄だ

とデタラメを言うわけです。

そんなことを言えば、教育をまともに受けていない若者などは、簡単に騙されてしまいます。

そして、まんまと自爆テロ要員にされてしまうのです。

だから危険なのです。

 

来世や死後の世界や天国なんてものが存在しなければ、自爆テロなんてやらないでしょう。

自己犠牲となることを良しとする人ならやるかもしれませんが、自爆テロを実行する人数としてはかなり減るはずです。

来世、死後の世界、天国という考え方は、変に煽ってしまうと飛んでもない危険をもたらすのです。

 

変な宗教や思想に騙されないために、我々がすべきことは?

我々がすべきことは、そういった来世や死後の世界などといった思想を捨てて「今、この人生を一生懸命生きること」を実践し、そしてのちの世代に伝えていくことです。

「苦しめば幸せになれる」だなんて、そんな二元論にとどまる来世だとしたら、なんてこの宇宙は広がりがないのでしょうか?

騙されてはいけません。

 

騙されないためにはどうすれば良いのか?

 

それはまともな教育を受けるということです。

まともな教育こそ、人を正しい判断に導きます。

きちんとした、そして自由な発想ができる教育を受けなければ、我々だって、おかしな思想を信じてしまいかねません。

 

変な宗教に騙されず、きちんと、そしてまっすぐ生きていくには、冷静な判断力に加えて、騙されない知識が重要になります。

ですから我々は日々、勉強と考え、ひたむきに生きていく必要があるんですね^^

 

苦しめば、たしかに人間的に成長しますが、死んでは元も子もないですし、仮に来世があったとしても「苦しんだ分、来世では魂のスケールが上がる」といったことはないと思います。

 

なぜイスラム過激派はテロを仕掛けてくるのか?

しかし、同時に気がかりなのは、なぜイスラム過激派が発生したのか? です。

これはおそらく、長年の欧米という西側諸国による支配が原因でしょう。

サダム・フセインが「大量破壊兵器を持っている」としてブッシュ大統領(当時)が、イラクを侵略し、イラク戦争を引き起こしました。

 

こういった欧米による蹂躙に、中東の人たちは怒っていたのです。

こういった中東の人たちの怒りは、マイケル・ムーア監督の映画「華氏911」で強く描かれています。

戦争に巻き込まれ、家族みんなの葬式をしたという女性が「私が何をした? アラー」と叫ぶシーンが印象的です。

 

ブッダの考えは、来世に期待せず「今を生きること」

ちなみに、ブッダは来世や死後の世界、天国を信じていませんでした。

あるかどうか分からないものについて考えるより、今を生きなさい。

これがブッダの教えです。

 

これを毒矢のたとえ(教え)としています。

  • 毒矢が刺さった時、誰に刺されたのか?
  • 何で刺されたのか?
  • 死んでしまうのか?

そんなことを考えるぐらいなら、先に処置をしろよ、という考え方なんですね。

【関連記事】

ブッダは信仰心ゼロだった…神様も輪廻転生も、ましてや仏教すら信じないってご存知でしたか

 

先のことを心配したり、過去にくよくよするより、今できる最善を尽くそうよ、という考えこそ、ブッダの思想です。

  • 今を生きること
  • 今できることをすること

ブッダはとにかく、これを勧めています 。

 

「悟りの境地」は現代社会で意味があるのか? 近畿大学でホリエモンが語ったことから学ぶ

堀江貴文 今を生きろ

先日、テレビの討論番組で、住職の小池龍之介さんとホリエモンこと堀江貴文さんが共演されていました。

 

ホリエモンといえば、なんだか強欲で、力強くて、弱肉強食という雰囲気がありますよね。

新自由主義の権化というような(笑)

堀江さんすみません(笑)

 

しかし、この討論番組を視聴した時「小池さんの意見とホリエモンの意見が似ている」と気づきました。

そして小池さん、ホリエモンともに、意見が合うと感じていらっしゃるようでした。

 

ブッダの思想とホリエモンの思想は通じる?

ホリエモンって「先のことを考えずに、今を生きる」ということを強調します。

そして、過去も振り返らない、と。

 

これってまさにブッダの教えの極意ですよね。

 

ブッダはまさに「過去や未来というものは、いまここには存在しないものだ。ここには”いま”しかないのだから、”いま”を一生懸命生きましょう」という考えがあります。

 

ブッダの毒矢のたとえ

ブッダはこれを「毒矢の教え(たとえ)」として教えています。

ブッダの毒矢のたとえ

どういったものかというと、たとえば、毒の矢で射られたとします。

すると、毒が全身に回りますよね。

そんなとき、その毒がどこから射られたのか、どうして射られたのか、なんのために射られたのか、一体だれにやられたのか、などといろいろなことをモヤモヤ考える前に、先に矢を抜いて治療しろよ、というものです。

 

余計なことをしていても、死が近づいてくるだけ。

「いま、やるべきことをやれよ」

これが毒矢のたとえです。

 

ですから、ブッダの教えや仏教というと、どうしてもスピリチュアルな何かとか、お経とか、お祈りとか、そういったものを想像しがちですが、ブッダはもっと即物的なんですよね。

 

過去や未来にとらわれずに、いまを一生懸命生きましょう。

それがブッダの教えなのかもしれません。

 

ホリエモンの思想が近畿大学で語られた

ですが、いまやそんなことを言ってくれる人っていますかね?

いたとしても、全く説得力のない人ばかりではないでしょうか。

私利私欲で生きたり、いい加減だったりして、本当に信頼できますか?

 

そんな中で、まあ、ホリエモンについては賛否が分かれるかもしれませんが、私自身はとても努力の人であり、誤解されている面も大きい人ではないかな、と思います。

発言が乱暴ではありますが、信念をもち、楽しく生きていらっしゃると思います。

 

ということで、今回はブッダとホリエモンの取り組みに共通点はあるのだろうかと点についてみていきたいと思います。

 

で、今回は、近畿大学の卒業式で、卒業生への激励のために訪れたホリエモンの映像をお届けしたいと思います。

ここには卒業生への熱い励ましの言葉と、夢を持って生きることの大切さを語っていらっしゃいます。

そしてそれらにはブッダの教えと酷似した言葉が語られているのです。

 

 

ホリエモン曰く「『普通』の道というものは実は無い」

堀江さんは言います。

  • 一つの会社で定年退職まで勤める
  • 家族を持ち、子供を持つ

そういった人は「おそらく皆さんのうちのごく一部」だと。

 

そういった道は、ごく一部のしか歩まない/歩めないのだと。

 

そうなんですよね。

「普通の生活・普通の幸せ」って憧れるんですけど、案外「普通」ってないんですよね。

私も含めて「普通の幸せ」を目指して生きているところがあるんですけど、その「普通の幸せ」を手にいれるって、非常に難しいと思うんですよね。

 

「普通」って、なかなか難しい。

 

私は30代の中盤ですが、まだ結婚していません。

これってもう普通を過ぎていますから、ちょっと焦りますよね^^;

これだけでも、もう「普通」というレールからは外れてしまっています。

 

私は男性ですが、女性だと焦ってしまう方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 

また、堀江さんはおっしゃいます。

就職できて安泰だと思ったら大間違いです。みなさんが一生務め上げられると思っている会社はどこかで潰れたり、どこかの会社に吸収合併されたりすると思います。それを前提で生きていってください。

たしかにそうですよね。

家電メーカーは危機的な状況ですし、その他の会社もいつどうなるかわかりません。そもそも、リストラだってありますから。

大手の東証一部上場企業に就職できたからといって、それがどうしたの? という時代かもしれませんね。

 

大事なのは、企業に頼って生きるのではなく、自力を信じて生きることです。

 

ホリエモンがブッダの「無常」を語る

そしてまた、堀江さんはこうも言います。

これから人間関係も大きく変わってくることでしょう。家族制度も大きく変わっていくことでしょう。今の常識は10年後、20年後は全く通用しないようになっている可能性が非常に高いです。

そして、常識に縛られないことです。

今、皆さんが常識だと思っていることは、たとえば20年前には常識ではなかったことがたくさんある。常識とか道徳とか倫理とかこういったものは、5年、10年単位で簡単に書き換わります。そしてそのスピードというのは、グローバル化で加速していくことになると思います。

 

これらはすべて、ブッダのいう「無常」と同じことですよね。この世の中で変化しないものは一つとしてない。

すべてものは絶えず変化する。

姿形を変えないものはない。

 

けれども我々は、いまのこの幸せ、平和が永久に続くような錯覚を起こしている。

そして突然の別れ、突然の悲しみに、動揺してしまいます。

 

しかし、この世に、永久に同じまま続くような物事はないのです。

「常」なるものは「無」い。

ブッダが教えてくれたこの言葉を胸に秘めて生きていく必要があります。

 

そして堀江さんは続けます。

部下から裏切られたとか、信頼している人から裏切られてつらくないのですか? とか恨んでいないのですか? すごく聞かれることが多いです。

でも、僕は悪いことは忘れるようにしています。

過去を悔やんでもいいことは何一つ無いです。

 

これもまさにブッダの思想と同じですね。過去は悔やむな、今を生きることに集中しろ、というのがブッダの思想です。

 

これから道無き道を歩んでいかなければいけない、大変だ大変だ、と。年金はもらえるんでしょうか、とか、日本はどうなっていくんでしょうか、とか、私はとても不安ですという人たちがすごく多い。だけど、僕は老後のことなんて考えない。老後のことは老後になってから考えましょう。いくら準備してたって、50年後のことなんかわかりっこないですよ。いまから50年前に出た未来予想図とか、その当時に出たたとえばSF映画とかを見てみてください。笑っちゃうような描写がほとんどだと思います。

人間なんて、5年先の未来だって僕だって予測できないですよ。いまから10年前に、みんながスマートフォンを持って、歩きスマホとかしながら、ツイッターとかラインとかやってる未来、想像できましたか?

だから、未来のことなんか考えることには意味がない。過去を悔やんでいる暇は皆さんにはないはずだ。

 

そして上記では未来について語っています。こちらもブッダと同じことを主張していますね。未来なんてない。だから未来を気にすることはない。未来を心配しても、意味がないということです。

さらに続けます。

 

未来には楽しいことしかないと思います。

それは、どうやったら楽しくできるか。それは今を一生懸命生きることです。

なぜ私が、色々なことにチャレンジをして、そして色んな失敗をしながら、そしてたくさんの人に裏切られながらも、こうやって楽しく生きられているのかっていうのは、今を生きているからです。今を集中して生きているからです。

きましたね。そうです。ここはまさにブッダが言わんとしていることです。冒頭でブッダの「毒矢のたとえ」をご紹介しましたが、まさに、ブッダが毒矢のたとえで言っていることと同じことです。

 

これから生きていく上で大事なことは、目先のことに集中することだと思います。長期計画なんて関係ないんですよ。まずそれをやってください。それをやらない限り、始まらない。何も始まらない。

「長期計画なんて関係無い」とまで言っています。

 

もと大手企業の社長でさえ、そこまで言い切れるのですから、本当に長期計画なんていらないわけです。

 

とにかくいま、一生懸命、楽しく生きる。それがすべてだと堀江さんはおっしゃるわけです。素晴らしいことですね。

 

そして最後には、次の言葉で結んでいます。私もこの言葉を肝に銘じて、生きていきたいと思います。

この動画をシェアしていただいた近畿大学、そして堀江さん、ありがとうございます。

 

そして、今、僕が言ったことを一つの言葉にまとめて、最後に皆さんへの贈る言葉にしたいと思います。

 

未来を恐れず、過去に執着せず、今を生きろ。

仏教はニヒリズムなのか? ニーチェの「永劫回帰」から読み解く

ニーチェとブッダの違い

かつて、世の中という理不尽さに立ち向かおうとした男たちがいました。

 

1人はブッダ。

そして今回、もう1人の男を取り上げます。

ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェです。

 

彼はブッダとはまた異なる観点から、人間を苦しみから解放しようと試みました。

 

素晴らしい日本。でも生きていくのはなんと辛いことか

世の中というのは、なんと辛いんでしょうね。

 

阪神淡路大震災、東日本大震災、熊本地震。

数々の病に、不慮の事故。

倒産、リストラ、借金。

 

こういったことを持ち出さなくても、普通にいまの20代、30代は年収300万円とかで、奨学金の返済もして、生きることにカツカツ、結婚もできないという方がたくさんいらっしゃいます。

 

日本は素晴らしい法治国家です。

治安は世界一良いですし、国民皆保険制度は完備され、識字率も高く、教育も受けられます。栄養価が考えられた給食もあります。24時間開いているコンビニもあります。

 

それはわかっているのですが、それでも、大変な時代だと思います。

生きるということは、まさに常にリスクと隣り合わせ。

リスクヘッジをしながら、なんとか毎日を生きている。。

そんな気がします。

 

ブッダはこの世の中に対し「無常」を説きます

しかし、ブッダの価値観からすれば、そういった一切合切、何もかも、我々が先入観、思い込みで貼り付けたレッテルに過ぎません。

すべてはエゴの仕業だとブッダは言うでしょう。

地震といっても、それは地盤が揺れただけ。

その結果、その地盤の上にいた人が、亡くなってしまった。

 

例えば長時間、冷凍庫に入っていれば、すぐに死んでしまいますよね。

しかし、水が凍ることを残酷だとは思いませんよね?

 

凍る、という自然現象に、人の死、という感情がプラスアルファされるから残酷なのです。

自然現象そのものには、嬉しいも悲しいもない。

 

地震で人が亡くなっても、それを人間的な視点から見れば、とても悲しいことですが、自然現象の中で、地面が揺れた、という事実だけを捉えると、そこには何も感情を挟む余地がありません。

 

水は時として凍り、風は時として強風になり、地面は時として大きく揺れる。

この世の中に一つとして、同じ形で留まっているものはない。

 

それが自然の摂理なのだとブッダは説きました。

この考えこそ「無常」です。

【参考】

縁起、そして無常とは何か? ブッダが考える宇宙の仕組み

 

「無常」とニーチェの「永劫回帰」のつながり

無常と永劫回帰

すべては無常。。

こう考えると、厭世的になったり、ニヒリズムに陥ったりします。

しかし、ブッダは決してこういったニヒリズムになることを推奨してはいません。

 

たとえば哲学者のニーチェは、世の中が人間的視点からみて虚無的なものだということを認めた上で、その世の中を強く生きることを勧めました。

ニーチェは人を超えた存在になることを提唱していました。

そう。

「超人」になれ!と勧めたわけです。

 

ニヒリズムを克服し、無意味な人生の悲惨さを乗り越えるためには、ニヒリズムを直視し、ニヒリズムを徹底する以外にない。人間は本来、一度きりの人生を十分に楽しみ、肯定的に生きるべきだ。そのためには、たとえ、どんな境遇であろうとも、どんな人生であったとしても、「人生とはそういうものなのか、よしそれならばもう一度」と叫んでしまおう。どんな人生であったとしても、「まったく同じ人生をもう一度生きたい!」と思えるように生きることだ。

代表的著書「ツァラトゥストラかく語りき」で上記のように述べています。

仮にこの苦しい人生をもう一度同じように体験することになったとしても、それどころか何万回となく体験することになったとしても、「これが人生というものなんだな、ではもう一度同じ人生を体験してやろう!!」と言える超人になろう、と言っているのです。

 

ニヒリズム的なこの無常の世の中を、肯定的に受け入れること=「運命愛」をニーチェは説いたのです。

しかし、ニーチェは最後に精神錯乱してしまったように、苦しみの因果をマッチョイズムで乗り越えようとしても、狂ってしまうだけです。

 

こんなもん、誰が考えても絶対無理でしょ(笑)

運命愛って、、そりゃ無理ってもんですよね。

 

どんなに辛いことがあっても、「よしもう一度!」って、青汁じゃないんだから(笑)

 

少なくとも私は超人にはなれません。

 

漫画「ジョジョの奇妙な冒険」に出てくるディオは、

おれは人間をやめるぞ!ジョジョーーッ!

おれは人間を超越するッ!
ジョジョおまえの血でだァーッ!!

と言って、人間をやめて吸血鬼になりました。

 

人間を超えようとしても、ニーチェのように発狂するか、吸血鬼になるしか道はありません(笑)

 

ブッダはつねに「思考をやめること」を説く

では、仏陀(ぶっだ)のアプローチは果たしてどうでしょうか。

 

ブッダはこの救いがたい人の業を、どのように乗り越えることを推奨しているでしょうか。

 

ブッダの場合はカンタンです。

ブッダのアプローチは、人生を厭世的に考えたり、虚無的に見たりしてしまう“この思考”をやめれば、苦しまずに済むよ、とこう述べるわけです。

 

これはもうブッダの定番のアプローチですね。

このアプローチを詳しく理解するには「縁起」と「無常」について学びましょう。

縁起、そして無常とは何か? ブッダが考える宇宙の仕組み

 

ブッダは苦しみの原因はすべて「苦しいと思うから苦しい。この“思う”ことをやめれば、苦しくない」と説きました。

これが悟りの極意です。

 

ブッダの考えもニヒリズムなのか?

縁起は宇宙の法則

しかし、こう考えると、人生に意味なんて見いだせなくなりそうですよね。

何も考えない。

何に対しても、苦しみも喜びももたない。

 

だって考えないわけですから、何も持ちようがありません。

 

こうなるともう「じゃあ別に、大量殺戮をしてもいいじゃん。世の中に意味なんてないんだから。レイプしまくったっていいんだ、どうせ無常なんだから」と考えてしまう人もいるでしょう。

いても不思議ではありません。

 

また、今生に意味を見出せずに、自殺してしまう人もいるかもしれません。

 

ニーチェのように克服することもできず、かといって無常だから、人生は無意味だという考え方で良いのでしょうか。

 

宇宙の法則である「縁起」には誰も逆らえない

ではブッダはどのように考えているのでしょうか。

その答えも実は、縁起にあります。

縁起、そして無常とは何か? ブッダが考える宇宙の仕組み

 

あなたが世の中を無常と考え、あまつさえ、無意味だと考えたとします。

ところが、そう考えたところで、物事の縁、人の縁といった、縁起はなくならないんですよね。

 

だって、世の中に常なるものがないとしても、そこに縁そのものが存在しているのは確かなのですから。

 

縁というものは、自分が望む/望まないにかかわらず、存在し続けるものです。

 

ニヒリズムになるということは、その縁を否定するものですが、否定したところで、縁が存在しているという事実は揺らぎようがありません。

透明人間になったとしても、あなたは存在しています。

仮に自殺したところで、自殺したという事実(縁)は存在します。

 

この地球上に存在する限り、縁起が生まれ続けるのです。

良くも悪くも、どうあがいても、その縁の波の中から、我々は誰一人、逃れることはできないのです。

 

大量殺人をすれば、誰かが悲しみます。

あなたが自殺すれば、誰かが悲しみます。

 

人の縁というのは、そのようにできているのです。

ですから、もう生まれてきてしまった以上は、縁起のもとに、ただひたすらまじめに、一生懸命生きていくしかありません。

それが人の縁です。

 

そして、その縁起と無常の苦しみから解き放たれるために、我々は悟りを目ざすのです。

ソウルメイトの特徴、見つけ方は? 私がソウルメイトと出会ったときの感覚

ソウルメイトの特徴と見つけ方

ソウルメイトという概念があるそうです。

「お互いに魂が繋がっているような存在」だということ。

恋愛関係でいえば、相思相愛ということですね。

 

果たしてそんな、魂同士でつながったような、相思相愛の恋愛関係というものは存在するのでしょうか?

 

人と人のつながりはすべてソウルメイト?

ブッダに言わせれば、世の中のすべては「縁」ですし、その意味ではすべての人と人は、ソウルメイトでしょう。

その筋のスピリチュアル系の先生のお話でも、ソウルメイトは特定の関係ではなく、世の中すべての人間が出会いという縁に育まれてつながっている以上、全員がソウルメイトだとおっしゃいます。

 

たしかにそうかもしれませんが、私たちが知りたいのはそんな教科書的な回答ではないですよね^^;

もっと下世話な答えが欲しいわけです^^;

 

ようは、恋愛における「運命の相手」という概念は存在するのか、ということが知りたいですよね。

 

私が経験したスピリチュアルな体験とソウルメイトの関係

私はうさんくさいスピリチュアルなことは信じてはいないのです。

しかし、不思議な感覚、不思議な体験をすることがよくあるんですね。

 

一つはデジャヴュ(デジャブー)です。

夢の中で見た光景が、現実に再現されるというものです。

本当になんでもないときに、突然「あ、いまのこの出来事は夢で見たことがある! 次にはこうなるんだ!」と気付いて、そして本当にそのようになる。

これは結構、気持ち悪いもんですよ^^;

 

デジャヴュに気付いてからほんの数秒先の未来までしか見えませんし、全然、重要な場面ではないので、なんの役にも立ちません。

地震予知でもできれば、世の中のお役に立てるのですが。。。

だいたい1年に1、2回はこのデジャヴュがあります。

 

そして二つ目として、初めて会った人なのに、この人は絶対に前世で会った、という感覚がある、というもの。

 

ちなみに私は、前世を信じてはいません^^;

前世なんてものは、よくわからないですし、現実的な話ではないので、無いと思っています。

 

しかし「絶対に会ったことがある。でも、絶対に会っているはずがない」という人に出くわしたとき、どう解釈すれば良いのでしょうか(笑)

 

この感覚に襲われたのは、過去に何度もあるのですが、とりわけ就職したときです。

就職先の事務所には、10人ぐらいの従業員さんがいたのですが、その全員に対して「絶対に会ったことがある」という感覚を持っていました。

 

その感覚はもはや「ものすごく懐かしい」レベルで、まさに生まれたころに住んでいた故郷に帰ってきて、「あ、そういえばこの人いたなあ〜」というぐらい懐かしい感覚なのです。

 

ですから「絶対に会った」と感じてしまうのです。

 

こんな気持ち悪いことを言っていますが、それでも前世を信じているわけではありません(笑)

 

ただ、常識では計り知れない、なんらかの力があってもおかしくはないんじゃないかなとは思います。

デジャヴュの感覚、あるいは「絶対に会った」という感覚はものすごく鮮明で、とても「気のせい」では片付けられないぐらい、強固なものなのです。

ですから、こういう力を感じる時、ソウルメイトというものも、あるのではないかな〜? と思うわけです。

 

果たしてソウルメイトは存在するのか?

ソウルメイトと出会う感覚

さて、そこで、いよいよ今日の本題に移ります。

恋愛関係における運命の人、つまりソウルメイトは存在するのか? という疑問です。

 

そして私はこの答えを導き出すことに成功しました!!

 

その答えは、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ソウルメイトは存在します!!!

 

 

 

引っ張ってすみません。

ソウルメイトは間違いなく存在します。

 

なぜそんなことが言い切れるのか?

 

それは、

 

 

 

 

 

 

私と私の彼女の関係がソウルメイトだからです。

(のろけかよ笑)

 

いえ、のろけではないのです。

のろけではなく、真面目な検証話ですので、ぜひ「閉じる」ボタンを押さずに冷静に聞いてください(笑)

 

 

ソウルメイトと出会った時の感覚と特徴

まず、私と彼女が出会ったのは、合コンだったのですが、私も彼女も、それまでなかなか合う相手が見つからず、恋愛に行き詰まっていました。

 

そんな中で出会ったのですが、なんと、お互いに喋ったとたんに「一目惚れ」状態になってしまいました。

ただ、私の感覚を正確に申し上げると「一目惚れ」というものではありませんでした。

 

喋った途端に「あ、この人と将来を共にするのだ」というある種の諦め(というと彼女にキレられますが)というか、テレビゲームでゲームをクリアしてしまったときのような「はい、運命の人を探し当てましたね、ゲーム終了です」という感じで、恋愛というゲームに幕を下ろした感じでした。

 

これから先はもう、恋愛というものに迷うことはなく、振り回されることもなく、彼女以外からときめくということもない、そういう感覚です。

 

お互いにあった時から、もう、昔からの知り合いだったような、不思議な感覚があったのです。

会ったばかりなのに、もう何年も生活しているような、正直、気味の悪い感覚です。

会ったばかりなのに、懐かしい人に再会したような、奇妙な感じ。。。

 

 

そしてさらに気持ち悪いのが、下の名前がお互い3文字なのですが、2文字まで同じ名前。

「はるお」と「はるこ」というような、性別による最後の1文字だけが違う字なのです。

そして誕生日は1日違い。ついでに血液型はどちらも珍しいAB型同士。

 

ソウルメイトとシンクロニシティの関係

ここまでくると、お互いに笑えてきました。

スピリチュアルな人の言い方でいえば「シンクロニシティ」というやつですよね。

偶然なんだけど、偶然にしては、できすぎている、というやつです。

 

スピリチュアル的には、このシンクロがあればあるほど「正しい道」を歩んでいるという証拠になるそうです。

ですから、何か行動を起こした時に、シンクロが起これば、その行動は正しいという指針になるそうです。

 

しかし、私はこのシンクロも信じていないのですが、偶然の一致というには出来すぎていますし、まあ、面白いことだなという印象を持っています。

 

ただ、皆さんはあまりこのシンクロを気にしない方が良いと思います。

私の両親も運命的に結婚したみたいですが、シンクロはありません。

私のような例はまれだと思いますので、誕生日が一緒じゃないとか、シンクロがないとかを理由に縁をつぶさないようにしてくださいね。

 

とくに女性の方は、スピリチュアルに傾倒するあまり、占いの先生の言うことを信じすぎたりとか、運命の出会いを待ちすぎたりとか、白馬の王子様に期待しすぎたりというケースがあるようですので、広い見識を持つようにしてください^^;

 

シンクロニシティは信じなくても「ビビビ」はあるかも

シンクロニシティとビビビ結婚

そういえば、その両親のエピソードとして、私の母が、父と出会った時に「ビビビ」と電波が来たそうです。

 

私はそれまでの恋愛の中でそういった経験がなかったので「そんなの気のせい」とタカをくくっていました。

 

しかし、ビビビ、は本当にあるのですね。

まさに、私と彼女の出会いはビビビでした。

 

シンクロがなくても気にしないで良いと思いますが、ビビビはあるかもしれません。

出会ったとき、あるいは喋った時に「あ、この人と結婚するかも」とか「生涯、この人と一緒にいるんじゃないか」という感覚があるかもしれません。

 

そういう感覚を持つ可能性は高いと思います。

 

そしてお母さん、申し訳ありませんでした(笑)

運命のビビビはあります(笑)

 

ソウルメイトとの出会いの感覚は「感じ方」に特徴がある

ちなみに、このソウルメイトに出会った感覚は、

「愛してる」

「この愛は永久に変わらない」

みたいな、そんな三流の歌詞のような感情とはまた違います。

先ほども申しましたように「恋愛という旅」が終わってしまったような、ちょっと寂しくさえある感覚なのです。

 

「彼女で、俺の恋愛経験は最後なんだな」という感じなんですよ。

 

ミスチル(Mr.Children)が2000年に発表したアルバムに「Q」というものがあるのですが、そのラストの曲が「安らげる場所」という名曲なのですが、この歌詞に

 

僕はなぜ繰り返す別れを受け入れてきたんだろう?

その謎が君と出会い ちょっと解けた

というものがあります。まさにこの心境でした。

すべての出会いも別れも、この瞬間のためだったのだな、という感じです。

 

ソウルメイトを見つけるには、やはり八正道を極めよ

とまあ、私のつまらない話はこれまでにしまして、このソウルメイトである彼女を見つけるために、私がどんな努力をしたのかについて語っていきたいと思います。

 

その努力は、これです。

 

 

ひたすら、八正道に取り組むこと。

 

 

八正道というのは、ブッダが提唱した、悟りを開くためのトレーニング法です。

詳しくは下記をごらんください。

八正道の意味を理解し、実践すれば本当に悟りを開くことができるのか? 

 

いわば、正しい行いをしろということですね。

※八正道といわれても「はあ?」という方もいらっしゃると思いますので、八正道以外の見つけ方については後述していきますね。

 

私自身、別に仙人でも悟りきっているわけでもありませんが、一応、頑張って八正道に取り組んでいました。

やはり、いくらソウルメイトを待っていても、人の悪口を言っていたり、すぐに怒鳴ったり、ケチだったり、自己中心的だったりしては、ソウルメイトはやってこないと思います。

 

仮に、ソウルメイトがやってきても、すぐに別れてしまうんじゃないでしょうか。

 

私はいまの彼女がたとえ本当にソウルメイトであったとしても、

  • 感謝の言葉を口にする
  • 彼女をとにかくサポートする
  • 彼女を第一に考える

というように、決して油断、慢心はしないようにしています。

その代わり、彼女も私に対して感謝してくれて、そして甘えさせてくれています。

 

やっぱり、相手に対して

  • どういうことをしたら相手が傷つくのか
  • 相手はどういうことを望んでいるのか

という風に、気持ちを汲み取ってあげる心配りをするようにしないと、絶対に続きません。

 

私も、道半ばではありますが、そういう心配りをするトレーニングをしたからこそ、彼女と心を通わせることができたように思います。

 

ですから、もしソウルメイトと結ばれたいのであれば、何よりも誠実に、ひたすら八正道を極めると良いのではないでしょうか。

 

また、彼女も相当な数のコンパなどをこなしていたみたいです(笑)

それでも全然、気が合う人と出会えない^^;

 

そんなときに、彼女のとても大事な場所でコンパが開かれました。そこで私と出会いました。

やっぱり、そういう「自分に合いそうな場」「自分にとって大切な場」などは、なんらかのパワーが働きやすくなっているかもしれませんね。

 

ソウルメイトを見つける方法:八正道以外には?

ブッダとか悟りに関心がある方にとっては、八正道はなじみ深いものですが、興味がない方にとっては八正道とか言われても・・・^^;

という感じだと思います。

 

ですので、もう少しかみ砕いた、より実践的な方法に迫っていきたいと思います。

 

私は八正道に取り組んでいましたが、彼女の方がどうしていたか、について迫っていきます。

 

期限を決めること

彼女は、1年後の○歳までに彼氏が欲しい。

と祈っていたそうです。

そして、そのために婚活をかなり頑張っていたそうです。

とにかく出会いを求めて、数をこなしていたそうです。

 

まあ、数をこなすことにはあまり意味がないかもしれません。

私自身、前の彼女と別れてから、たった1回の合コンでいまの彼女と知り合いましたので。。

 

ただ、数をこなすことで、だんだん自分が求めている男性というか、感性が研ぎ澄まされていくのではないでしょうか。

私もそのころは、出会いというよりも自分の精神を鍛えることに集中していましたので、そういう縁が引き寄せられたのだと思います。

彼女は、期限を決めたことで、自分の中で覚悟ができ、本気で恋人探しに集中できたのだと思います。

 

感性に任せて相手を決めること

私と出会うまでも、良い男性はたくさんいたそうです。

そして、何度か会ったりもしていたようですが、彼女は以前に男性に騙された経験があり、1対1では会わないなど、とても用心深い付き合いをしていたそうです。

 

感じの良い男性はいたけれども、焦って付き合ったりはしないようにしていたみたいです。

また、キスなどの軽々しい行為は絶対にしないと決めて、安売りすること、自分の価値を下げることはしないようにしていたみたいです。

 

私に対しては、はじめから1対1で会ってくれました。

それに対して彼女の友人が、彼女に対して「えっ、あなたが1対1で会ったの? 信じられない」と驚いていました。

用心していても、感性があう相手とは出会えますから、あまり焦らないようにしましょう。

 

ソウルメイトはすごく謙虚だった

「安売りしない」とはいっても、彼女は最初からとても謙虚でした。

まわりに気遣いをし、そして合コンでも話題が途切れないように、うまく会話をつないでいました。

直接、会話をしていないときでも案外、気になる人のことは見ているものです(笑)

ターゲットの異性と話していないときでも、きちんと対応をして、露骨に好みの相手とそうでない相手の差をつけないようにしてください(笑)

 

外見重視をやめる

彼女はこれまで、かなり外見重視で相手を選んでいたようです。

私に対しても「外見も気に入った」とは言ってくれましたが^^;

お目にかけられるほどの外見はしていません^^;

 

外見でのときめきをあてにせず、会話したときの雰囲気の良さを重視するようにしましょう。

 

楽しそうにしましょう

彼女ができてから、彼女の友達にも彼氏できるようにと、飲み会をよく主催するようになりました。

しかし、男性も女性も全然、話しかけない、楽しそうにしていない方がいらっしゃるのです。

 

好みの異性がいなかったのかもしれませんが、せめて楽しそうにした方が良いです(笑)

でないと、次回から呼びづらくなるんですよね^^;

 

好みの異性がいないと、すぐに心を閉ざしちゃう方もいますが、異性にしろ同性にしろ、つながりがあれば、そこからの紹介も増えます。

私と彼女も、紹介の紹介などの薄い関係でつながった合コンで知り合いました。

 

その場で出会いがないからと早々に諦めずに、粘り強く、愛想良く、次の機会にバトンを託す気持ちで、楽しく過ごすようにしてください^^

 

体の関係は、付き合うまでの我慢

出会ってすぐ、合コン帰りにもうホテルに入ってしまう男女がいます^^;

これのまずいところは、節操がないとかよりも、まわりが薄々分かってしまうというところにあります(笑)

 

やっぱり、そうなると悪いうわさが立ちますから、本命の相手とやっと知り合えても、その相手の友達から「あいつ、誰とでも関係持つって噂だよ」とかいうことを言われてしまっては台無しです。

気をつけましょう^^;

 

会話した感じで見極める

私はもうこれが一番大事だと思っています。

外見とかいろいろな要素があると思いますけれど、しゃべっていて楽しい、落ち着く、苦にならないなど、気持ちが通じ合っていることが大事です。

 

ただし、気をつけてください。

話術が巧みな人は「あなたをノセる」会話術に優れています。

単におだてられて乗せられているのか、本当に相手も心から楽しんでいるのか、そこをきっちり見極めましょう。

しかも、褒めるだけではなく、わざとけなしたりして気を引く方法もありますので、その辺のテクニックに騙されないようにして下さいね。

ですから「話が合う」よりも「気持ちが通っている」という感覚を重視しましょう。

 

まとめ

ソウルメイトは本当にいるのか? その出会い方は? について検証してきました。

まだ「本当にそんな人いるのかなあ?」と思っていらっしゃる方も多いと思います。

そういった方は、ぜひ実際に、飲み会や合コン、婚活サイトなどから、恋活・婚活に取り組んでみましょう。

 

私の彼女も、たくさんのサイトに登録しており、そこから地道につながりをつくっていったみたいですよ^^;

ぜひ粘り強く取り組んでみて下さい!

 

▼誰にも知られず簡単にFacebookで恋活・婚活ができる「pairs」

 

 

八正道の意味を理解し、実践すれば本当に悟りを開くことができるのか? 

八正道について学ぶ

ブッダの教えの根幹には、縁起、と四諦(したい)という2つの考え方があります。

 

縁起は世の中のシステムを説明したもので、その世の中のシステムの中で、いかに生きるか、というマニュアルが四諦です。

 

縁起で成り立っている世の中を乗り切るための実践法が四諦というわけです。

 

ですから、この四諦こそ、ブッダの教えそのもの。

この四諦さえ理解し、実践できれば、あなたも悟れます。

 

したがって、今すぐにでも四諦を理解し、四諦を実践することが大事です。

 

その四諦において、具体的に悟るためのトレーニング法が示されております。

そのトレーニング法こそ「八正道」とブッダが名付けた実践法です。

その八正道について、今回は記述していきたいと思います。

 

それではその前に、まずは縁起を理解したい!という方はこちらをご覧下さい。

縁起、そして無常とは何か? ブッダが考える宇宙の仕組み

 

そして、八正道の前に四諦とは何なの? という方はこの項をご覧下さい。

「四諦」とは何か…仏教とブッダの教えの違いとは?

 

まずは四諦をおさらい

では、八正道の話に入る前に、上のリンクからでもご覧いただけますが、四諦について簡単に説明させていただきます。

 

四諦とは悟りに至るまでの4つのプロセスをさします。

それはすなわち「苦」→「集」→「滅」→「道」の流れです。

  • 苦・・・世の中とは「苦」しみであるということ。
  • 集・・・苦しみを「集」めてくるのは自我の仕業だということ。
  • 滅・・・では、苦しみを集めてくる自我を消「滅」させれば、苦は存在しない。
  • 道・・・滅を実践させるために「道」=修行を行いましょう。

 

これが四諦です。

これが悟りの極意なのです。たったこれだけが極意なのです。

これをするだけで悟れるのです。

 

シンプルすぎて逆に難しいのが悟り

「あまりにもシンプルですね。たったこれだけのプロセスで、本当に悟れるのですか?」

 

はい、悟れます。

「怒らないこと」の著書で知られるスリランカの僧侶、アルボムッレ・スマナサーラ長老に言わせれば、もっと簡単です。

この動画の5分30秒ごろをご覧下さい。

「思考をやめるのは物凄い難しい」

「左脳が、何兆もの細胞が思考させるために構えているのだから大変です」

「しかし、ちゃんと頑張る(思考を止める)とだいたい2週間で成功します」

「思考を止めてみたら悟れます」

「たったそれだけです」

このようにおっしゃっています。

 

まあ、真理がシンプルだからといって、実践まで簡単とはいきません。

思考を止めること。

それが悟りを開くということですが、その道のりはなかなかのものでしょう。

 

ブッダは悟りを開くためのトレーニング法を作ってくれています

八正道は悟りを開くためのトレーニング法

しかし、そこはブッダ。

当時ではかなり長生きであろう80歳まで生きられ、35歳で悟っていますから45年間も悟りを教えてきただけあって、ちゃんと悟りへの実践法を用意してくれています。

 

しかしブッダは実は、悟りを開いた直後に「悟りを伝道するのは無理」と、いきなりさじを投げてしまったことでも有名です。

それを神様にたしなめられて、ようやく重い腰をあげるというなかなか雑なお方という余談があります。

 

さてブッダは、この思考を止める取り組み、つまり四諦でいうところの「道」を実践するために、実はマニュアルを作ってくれています。

それが最初に述べました「八正道」というトレーニング法です。

 

そうこのトレーニング法こそ、ブッダが残してくれた、悟りへの「道」しるべなのです。

では実際に取り組んでみましょう!

 

八正道の意味を理解していきましょう

「八正道」は悟りを開くための基本的な実践を示しています。

ブッダは「悟るためには8つの正しい行動を取りましょう」と主張しており、それが八正道なのです。

 

八正道は次の8つの取り組みで構成されています。平易な表現で書きます。

  1. 正見(しょうけん):正しく見ましょう
  2. 正思惟(しょうしゆい):正しい思いをもちましょう
  3. 正語(しょうご):正しい言葉を使いましょう
  4. 正業(しょうごう):正しい行いをしましょう
  5. 正命(しょうみょう):正しい仕事につきましょう
  6. 正精進(しょうしょうじん):正しく精進しましょう
  7. 正念(しょうねん):正しい気づきを行いましょう
  8. 正定(しょうじょう):正しく意識を定めましょう

 

この8つの中でも最も大事なのがはじめの「正見」にあたります。

正見とは簡単に言いますと、自我から離れた目で、世界を見るということです。

 

つまり、世の中というものが「無常」であり、「縁起」によって成り立っているものだと知り、その世の中を生きていく智慧が「四諦」だということを頭に叩き込んで生きる、ということです。

 

縁起について詳しくはこちら。

縁起、そして無常とは何か? ブッダが考える宇宙の仕組み

 

万物は固定ではなく、つねに変化するもの=無常です。

その無常の世の中に、逆らおうとするときに「苦」が発生するのです。

 

そして四諦の項で申しましたように、苦というものは自我が発生させています。自我が苦を集めて来ない限り、苦は発生しようがありません。

苦を発生させるために、苦を集めてくる自我の動きを見極め、それを滅することが四諦の極意であり、悟りを開くための方法です。

 

この滅を行うために、自我から離れた意識から物事みて、そして自我が少しでもよからぬ働きをしないよう、その動きに対して目を光らせておくこと、これこそが先に述べた正見です。

 

つまり八正道における基本的なスタンスを説明しているのが正見ということです。

八正道における正見の重要性

そしてこの正見をしっかりと行うための取り組みが残りの7つの正道にあたります。

では、それらの7つを見ていきましょう。

 

【正思惟:正しい思いをもちましょう】

正思惟は「無害心」、「無瞋恚」、「無貪欲」の3つからなります。

  • 無害心:敵意を抱かず、慈しみの心を持ちましょう。
  • 無瞋恚:むやみに怒るのはやめましょう。
  • 無貪欲:無限にお金が欲しい、無限に愛人が欲しいというような、際限のない欲望を持つことをやめましょう。

 

【正語:正しい言葉を使いましょう】

嘘をついたり、悪態をつくのは、煩悩の仕業ですのでやめましょう。

 

【正業:正しい行いをしましょう】

むやみに生き物を殺したり、泥棒をしたり、不倫をしてしまうのは、煩悩の仕業ですのでやめましょう。

 

【正命:正しい仕事につきましょう】

人を騙して儲けたり、世間に迷惑をかけてでも儲けたりするのは、煩悩の仕業ですので、やめましょう。

 

【正精進:正しく精進しましょう】

悪いことをしようとしたり、善い行いを怠けようとするのは、煩悩の仕業ですので、やめましょう。

 

【正念:正しい気づきを行いましょう】

【正定:正しく意識を定めましょう】

この2つは、瞑想の実践について語っています。

四諦の項でも書きましたが、ブッダの悟りの方法は、自我(煩悩)の暴走である「集」を行ってしまっていることに気づき、それを「滅」することにあるとしています。

これは四諦を理解し、そして「集」を行わないための具体的な行動である「止観瞑想」の実践をしましょうということです。

 

止観瞑想については次のとおりです。

歩きながらでも瞑想はできる? 「止観瞑想」のやり方

 

上記に詳しいですが、止観瞑想について簡単に説明しますと、要は四諦がどのようにして自分の中で発生しているのかを見るということです。

「苦」がどのように自分の中に存在し、そして「集」されているのかを観察し、いかにして「滅」するか、ということです。

そしてその具体的な実践方法を「止観」と言います。

止観は、「苦」を発生させる「集」、つまり自我(煩悩、思考)が働くことを止めるための取り組みです。

 

意識的に止観を行わなければ、すぐに自我(煩悩)が暴走を始めます。ですから、止観に意識を向けることが重要だとしています。

 

正念が主に「観」のことであり、自我の動きに気づくということ、正定が「止」について述べています。「止」は思考を止めるということですが、そのことに対する集中力を持って取り組むことが正定の考え方です。

 

まとめ

いかがでしたか。

今回は実践的な内容ではありましたが、少々堅苦しくて難しかったのではないでしょうか。

この辺りの理屈は、ぶっちゃけ悟ることと関係はありません。しかし、我々の自我というものはどうしても「理屈」が欲しくなってしまうものです。

このような「理屈」を学ぶことで自我を納得させることができれば、実践も進めやすいです。

 

ですから、いつも自我の妨害にあい「瞑想なんか何の役に立つんだ」「そんなことよりもっと楽しいことをしよう」と自我が騒いで悟りの学びに集中できない時、こういった考えを理解することで、自我を鎮め、実践を進めていくと良いのではないでしょうか。

▼この本で八正道で学べます。

縁起、そして無常とは何か? ブッダが考える宇宙の仕組み

最も重要なブッダの考え、縁起

ブッダが悟りを開くために、最も重要な考え方として示したのは「縁起」という考え方です。

そしてその「縁起」に基づいて生きる智慧が「四諦(したい)」です。

 

ブッダの教えの中で、最も根源的であり、重要な考え方として示されている考え方がこの「縁起」と「四諦」です。

 

ブッダの考え方を理解するには、この「縁起」と「四諦」の関連性について学んでいく必要があります。

そのためにまず「縁起」が何かを理解する必要があります。

四諦についてはこちらをご覧下さい。

「四諦」とは何か…仏教とブッダの教えの違いとは?

 

縁起は、意味を理解しなければ「???」となります

縁起とは何なのかを簡単に言いますと、

 

物事には、原因があるから、結果がある

と考えるということです。

 

・・・。

 

もしかしたら、(´Д` )ポカーン、、かもしれませんね(笑)

なんて当たり前なことを。。

これのどこが凄い考えなんだ、、そう思われたかもしれません。

 

私も初めてこの言葉に出会ったときは、ひたすら(´Д` )ポカーン(´Д` )ポカーン(´Д` )ポカーンでした。

 

このときはまさに私は「はあ? 悟りを開いて得られる到達点が、たかがそんなことなのか?」とひどくがっかりした記憶があります。

めちゃくちゃつまらない、どうでも良いことをブッダは、縁起などというたいそうな言葉を使って表現していて、そして信者がそれを崇めているなんて、何てバカバカしいのだろうと思ったのです。

しかし、これは大きな間違いでした。

 

この縁起というのは、シンプルだからこそ、実に奥が深い考え方なのです。

そう、まさに真理というほかないのです。

 

縁起は、宇宙の法則である“因縁”を示している

縁起は宇宙の流れを表している

縁起とは何かと言いますと、たとえば、種を植えるから、実がなりますよね。これを縁起の考え方で示しますと、種を植える、という原因を受けて、実がなるという結果が生じていることになる。

 

これは当たり前ではあるのですが、よくよく考えてみて下さい。

 

この世の中はすべてこの「AをBにしたからCになった」というルールに従っているのです。

何一つ例外はありません。すべてこのルールに従っています。

 

あなたが生まれたのも、両親がいたからです。あなたがいま目の前でこの文章を読めているのは、パソコンなり携帯電話を買ったからです。

そのパソコンなり携帯電話がそこにあるのは、誰かがそれをつくり、あなたに売ったからです。あなたがそれを買おうと思ったのは、テレビCMを見たり店頭で販売しているのを見たからです。

 

祖先が存在したから、いまのあなたがいる。ご先祖よりもずっと以前、弥生時代や戦国時代や江戸時代など、さまざまな原因と結果を経て、いまこの場所にあなたはいるのです。

 

この流れを「縁起」と言っているのです。

何らかの「原因」に「縁」が「起」こり、「結果」が訪れること。すなわち「因果」をもたらす「縁起」が、万物の摂理だとブッダは説いたのです。

 

この世の中に、縁起に絡まない物事はなく、すべてのものは「因縁」で結ばれており、縁起の流れから脱することは絶対にできないのです。

 

縁起が示すもの・・・それは“無常”

まだあなたの中には「それがどうしたの?」という感じがあるかもしれません。

その肩すかしの気持ちを解消するには、先に「無常」について説明する必要があります。

もう少しお付き合い下さい。

 

さて、この縁起の流れによって、万物はつねに、絶えず変化していきます。

花は実をつけ、やがて枯れますし、人は老いて死にます。

朽ちた花や人は、風化して風に舞い、土に還ります。その土から野菜や果物が成り、それを誰かが食べます。

 

島も移動を続けていますから、目に見えないレベルで世界地図はつねに変わっています。

太平洋プレートは1年間で10cm程度動いているらしいです。日本とハワイまでの距離も毎年数センチずつ近づいており、1億年後ぐらいには一つの島になるそうです。

 

現象そのものは、失われてはまた生まれ、生まれてはまた消えていく、これを繰り返しているだけです。

宇宙の誕生から現在まで、ありとあらゆるすべての事象はAがBになり、BがCになり、CがDになり、DがEになり、EがFになり・・・と縁起の法則によって、つねに変化を続けてきました。

 

この宇宙において、変化しないものは存在しない。

この考え方を「無常」と言います。

“常”なるものは“無”いということです。

 

無常が苦しみをもたらすのか?

無常が苦しみを呼ぶのか

ここで、人の心に「苦しみ」が発生する要因を、「無常」の観点から説明したいと思います。

 

 

例えば人は老います。

しかし「老いたくない」と考えた瞬間に、苦しみが降ってきます。

あるいは人は、“別れ”を経験します。

しかし「別れたくない」と考えた瞬間に、苦しみが降ってきます。

 

「もっとお金が欲しい」

でも、必ずしもそううまくいかない。そして苦しみます。

「もっとイケメンだったら」

でも、必ずしもそううまくはいかない。だから苦しみます。

 

そうです。

つまり、無常なる世の中、宇宙の仕組みに対し、逆らって「常でありたい」と思ったときや、そのあるがままの流れを受け入れようとしないとき、そこに苦しみが発生するのです。

 

宇宙からすれば「いやいや、無常なのが当たり前であって、そんな都合良くあんた1人の人生のために宇宙は合わせられませんから。何で自分の思いどおりになると思うんですか!」と思っているわけです。

 

宇宙自体が「無常システム」を導入しているのですから、宇宙からすれば苦も悲しみも、怒りも何もありません。ただ無常に時が流れていくだけ。

 

その流れに逆らって、勝手に人は苦しんだり、悲しんだり、落ち込んだり、イライラしたりしているのです。

宇宙には何もレッテルはありません。そこに勝手に人が「苦」などといちいち意味付けをわざわざして、その苦しみをわざわざ作り出して味わっている。

 

無常のものに対して、苦しみというレッテルをペタペタとわざわざ貼り付けて、勝手に苦しんでいるのが我々なのです。

世の中の事物、事象は、発生しては消え、消えては発生するように、常に形を変えているものなのです。

変化しないものはこの世にはあり得ないことです。

 

その変化していくものに対して、変化しないでくれ!! 俺の思うとおりになってくれ!! そう無茶を願うことが、苦しみの要因なのです。

 

水は冷えれば氷になり、熱すれば湯気になります。

それを冷えたら湯気になれ、熱すれば氷になれ!! と願って、なんで思うようにいかないのだ? と考えることは、全くの無駄な苦しみなのです。

 

氷を作りたいなら冷やす、湯気を作りたいなら熱する。

「ただこのように生きたら楽じゃね?」

ブッダの気づきはここにあったのです。

 

縁起・無常に基づいて「四諦」を考えてみる

この宇宙観に気づいたブッダが、この縁起と無常から発生する流れを踏まえて、人間界を苦なく生きるために、つまり悟りを開くために考え出したのが、四諦(したい)という悟りマニュアルです。

 

四諦について詳しくはこちらの項↓をご覧下さると良いかと思いますが、本稿でも簡単に四諦について説明をします。

「四諦」とは何か…仏教とブッダの教えの違いとは?

 

四諦とは、悟りを開くための4つの流れをしめしており、それは「苦」→「集」→「滅」→「道」となっています。

 

ブッダは、「苦」しむことについて、次のように考えています。

つまり、そもそも宇宙は縁起の流れにすぎません。そこに「苦」というレッテルを貼っているから、苦しいのだと。

「苦」というものを「集」めるから苦しい。

これもまさに縁起の法則です。

原因に縁が結ばれて、結果がある(「因」→「縁」→「果」)とする縁起そのものです。

 

 

ですから、この「因」を取り除けば、「苦」は発生しないとブッダは考えたのです。

従って、この「苦」を「集」めるという「縁」を取り除くこと=「滅」で、「苦」は発生しないと考えたわけです。

苦という原因を、集めてくるから苦しいわけですから、この苦という原因を集めなければ(「滅」)、苦という結果は訪れない。

だから、この滅を極める「道」を目ざすこと。

これが四諦の極意です。

 

どうやって「苦」を取り除くのか

苦を取り除いて安らぎを得たい

しかし、もしかすると疑問に思われるかもしれませんね。

  • といっても、その苦しみの原因を集めないって、どうやるんですか。
  • 原因を取り除けば、苦しみはないと簡単に言ってくれますが、それができたら苦労しないです。

 

あるいは、

  • 不愉快な上司をどうやって辞めさせたらいいんですか。
  • 借金が100万円ありますけど、その借金をどうやってすぐに返せと言うんですか。
  • 振られてしまったんですけど、どうすれば彼女は帰ってくるのですか。
  • 愛する祖父が亡くなりました。祖父は生き返りません。

そのとおりです。

その苦しみの根本を取り除くことは、無理です。

なぜなら、これは縁起、無常の流れに逆らえと言っているようなものだからです。

このあたりの解釈を間違えていらっしゃる方はとても多いです。

 

やっかいな上司を魔法のように消すことはできません。宝くじが明日、いきなり当たったりしません。振られた元カノが、やっぱりあなたが好きなどと都合良く帰ってきたりしません。ドラゴンボールでもない限り、祖父は生き返りません。

 

どうしても、我々現世に生きる者にとっては、その原因そのものを変えたくなってしまいます。

奇跡的な何かを求めるのです。

しかし、ブッダ、お釈迦様に言わせると、それは執着であり、煩悩です。

 

この現世に、何らかの無理な期待をしてしまうと、それは苦しみに変わります。

仮に、元カノが戻ってきたり、100万円のtotoくじが当たったり、祖父が生き返ったとしても、その苦しみの根源は変わりません。

またいつ元カノが去ってしまうか、またいつお金に困ってしまうか、いずれにせよ祖父はまた死ぬじゃないか、と、このように、何かに執着している限り、苦しみは消えないのです。

 

繰り返しになりますが、苦しみの原因は、何らかの事象にくっついているのではありません。

むしろ逆に、宇宙の法則である「縁起」という事象に「苦」というレッテルを張り付けて観てしまっているのが事実です。

 

縁起を理解し、「苦」を張り付けずに生きること。これがブッダのいう悟りなのです。

その道を目ざすことが四諦における「道」であります。

 

悟りの道へ進むために、「四諦」も詳しく学んでいきましょう。

「四諦」とは何か…仏教とブッダの教えの違いとは?