八正道の意味を理解し、実践すれば本当に悟りを開くことができるのか? 

八正道について学ぶ

ブッダの教えの根幹には、縁起、と四諦(したい)という2つの考え方があります。

 

縁起は世の中のシステムを説明したもので、その世の中のシステムの中で、いかに生きるか、というマニュアルが四諦です。

 

縁起で成り立っている世の中を乗り切るための実践法が四諦というわけです。

 

ですから、この四諦こそ、ブッダの教えそのもの。

この四諦さえ理解し、実践できれば、あなたも悟れます。

 

したがって、今すぐにでも四諦を理解し、四諦を実践することが大事です。

 

その四諦において、具体的に悟るためのトレーニング法が示されております。

そのトレーニング法こそ「八正道」とブッダが名付けた実践法です。

その八正道について、今回は記述していきたいと思います。

 

それではその前に、まずは縁起を理解したい!という方はこちらをご覧下さい。

縁起、そして無常とは何か? ブッダが考える宇宙の仕組み

 

そして、八正道の前に四諦とは何なの? という方はこの項をご覧下さい。

「四諦」とは何か…仏教とブッダの教えの違いとは?

 

まずは四諦をおさらい

では、八正道の話に入る前に、上のリンクからでもご覧いただけますが、四諦について簡単に説明させていただきます。

 

四諦とは悟りに至るまでの4つのプロセスをさします。

それはすなわち「苦」→「集」→「滅」→「道」の流れです。

  • 苦・・・世の中とは「苦」しみであるということ。
  • 集・・・苦しみを「集」めてくるのは自我の仕業だということ。
  • 滅・・・では、苦しみを集めてくる自我を消「滅」させれば、苦は存在しない。
  • 道・・・滅を実践させるために「道」=修行を行いましょう。

 

これが四諦です。

これが悟りの極意なのです。たったこれだけが極意なのです。

これをするだけで悟れるのです。

 

シンプルすぎて逆に難しいのが悟り

「あまりにもシンプルですね。たったこれだけのプロセスで、本当に悟れるのですか?」

 

はい、悟れます。

「怒らないこと」の著書で知られるスリランカの僧侶、アルボムッレ・スマナサーラ長老に言わせれば、もっと簡単です。

この動画の5分30秒ごろをご覧下さい。

「思考をやめるのは物凄い難しい」

「左脳が、何兆もの細胞が思考させるために構えているのだから大変です」

「しかし、ちゃんと頑張る(思考を止める)とだいたい2週間で成功します」

「思考を止めてみたら悟れます」

「たったそれだけです」

このようにおっしゃっています。

 

まあ、真理がシンプルだからといって、実践まで簡単とはいきません。

思考を止めること。

それが悟りを開くということですが、その道のりはなかなかのものでしょう。

 

ブッダは悟りを開くためのトレーニング法を作ってくれています

八正道は悟りを開くためのトレーニング法

しかし、そこはブッダ。

当時ではかなり長生きであろう80歳まで生きられ、35歳で悟っていますから45年間も悟りを教えてきただけあって、ちゃんと悟りへの実践法を用意してくれています。

 

しかしブッダは実は、悟りを開いた直後に「悟りを伝道するのは無理」と、いきなりさじを投げてしまったことでも有名です。

それを神様にたしなめられて、ようやく重い腰をあげるというなかなか雑なお方という余談があります。

 

さてブッダは、この思考を止める取り組み、つまり四諦でいうところの「道」を実践するために、実はマニュアルを作ってくれています。

それが最初に述べました「八正道」というトレーニング法です。

 

そうこのトレーニング法こそ、ブッダが残してくれた、悟りへの「道」しるべなのです。

では実際に取り組んでみましょう!

 

八正道の意味を理解していきましょう

「八正道」は悟りを開くための基本的な実践を示しています。

ブッダは「悟るためには8つの正しい行動を取りましょう」と主張しており、それが八正道なのです。

 

八正道は次の8つの取り組みで構成されています。平易な表現で書きます。

  1. 正見(しょうけん):正しく見ましょう
  2. 正思惟(しょうしゆい):正しい思いをもちましょう
  3. 正語(しょうご):正しい言葉を使いましょう
  4. 正業(しょうごう):正しい行いをしましょう
  5. 正命(しょうみょう):正しい仕事につきましょう
  6. 正精進(しょうしょうじん):正しく精進しましょう
  7. 正念(しょうねん):正しい気づきを行いましょう
  8. 正定(しょうじょう):正しく意識を定めましょう

 

この8つの中でも最も大事なのがはじめの「正見」にあたります。

正見とは簡単に言いますと、自我から離れた目で、世界を見るということです。

 

つまり、世の中というものが「無常」であり、「縁起」によって成り立っているものだと知り、その世の中を生きていく智慧が「四諦」だということを頭に叩き込んで生きる、ということです。

 

縁起について詳しくはこちら。

縁起、そして無常とは何か? ブッダが考える宇宙の仕組み

 

万物は固定ではなく、つねに変化するもの=無常です。

その無常の世の中に、逆らおうとするときに「苦」が発生するのです。

 

そして四諦の項で申しましたように、苦というものは自我が発生させています。自我が苦を集めて来ない限り、苦は発生しようがありません。

苦を発生させるために、苦を集めてくる自我の動きを見極め、それを滅することが四諦の極意であり、悟りを開くための方法です。

 

この滅を行うために、自我から離れた意識から物事みて、そして自我が少しでもよからぬ働きをしないよう、その動きに対して目を光らせておくこと、これこそが先に述べた正見です。

 

つまり八正道における基本的なスタンスを説明しているのが正見ということです。

八正道における正見の重要性

そしてこの正見をしっかりと行うための取り組みが残りの7つの正道にあたります。

では、それらの7つを見ていきましょう。

 

【正思惟:正しい思いをもちましょう】

正思惟は「無害心」、「無瞋恚」、「無貪欲」の3つからなります。

  • 無害心:敵意を抱かず、慈しみの心を持ちましょう。
  • 無瞋恚:むやみに怒るのはやめましょう。
  • 無貪欲:無限にお金が欲しい、無限に愛人が欲しいというような、際限のない欲望を持つことをやめましょう。

 

【正語:正しい言葉を使いましょう】

嘘をついたり、悪態をつくのは、煩悩の仕業ですのでやめましょう。

 

【正業:正しい行いをしましょう】

むやみに生き物を殺したり、泥棒をしたり、不倫をしてしまうのは、煩悩の仕業ですのでやめましょう。

 

【正命:正しい仕事につきましょう】

人を騙して儲けたり、世間に迷惑をかけてでも儲けたりするのは、煩悩の仕業ですので、やめましょう。

 

【正精進:正しく精進しましょう】

悪いことをしようとしたり、善い行いを怠けようとするのは、煩悩の仕業ですので、やめましょう。

 

【正念:正しい気づきを行いましょう】

【正定:正しく意識を定めましょう】

この2つは、瞑想の実践について語っています。

四諦の項でも書きましたが、ブッダの悟りの方法は、自我(煩悩)の暴走である「集」を行ってしまっていることに気づき、それを「滅」することにあるとしています。

これは四諦を理解し、そして「集」を行わないための具体的な行動である「止観瞑想」の実践をしましょうということです。

 

止観瞑想については次のとおりです。

歩きながらでも瞑想はできる? 「止観瞑想」のやり方

 

上記に詳しいですが、止観瞑想について簡単に説明しますと、要は四諦がどのようにして自分の中で発生しているのかを見るということです。

「苦」がどのように自分の中に存在し、そして「集」されているのかを観察し、いかにして「滅」するか、ということです。

そしてその具体的な実践方法を「止観」と言います。

止観は、「苦」を発生させる「集」、つまり自我(煩悩、思考)が働くことを止めるための取り組みです。

 

意識的に止観を行わなければ、すぐに自我(煩悩)が暴走を始めます。ですから、止観に意識を向けることが重要だとしています。

 

正念が主に「観」のことであり、自我の動きに気づくということ、正定が「止」について述べています。「止」は思考を止めるということですが、そのことに対する集中力を持って取り組むことが正定の考え方です。

 

まとめ

いかがでしたか。

今回は実践的な内容ではありましたが、少々堅苦しくて難しかったのではないでしょうか。

この辺りの理屈は、ぶっちゃけ悟ることと関係はありません。しかし、我々の自我というものはどうしても「理屈」が欲しくなってしまうものです。

このような「理屈」を学ぶことで自我を納得させることができれば、実践も進めやすいです。

 

ですから、いつも自我の妨害にあい「瞑想なんか何の役に立つんだ」「そんなことよりもっと楽しいことをしよう」と自我が騒いで悟りの学びに集中できない時、こういった考えを理解することで、自我を鎮め、実践を進めていくと良いのではないでしょうか。

▼この本で八正道で学べます。

縁起、そして無常とは何か? ブッダが考える宇宙の仕組み

最も重要なブッダの考え、縁起

ブッダが悟りを開くために、最も重要な考え方として示したのは「縁起」という考え方です。

そしてその「縁起」に基づいて生きる智慧が「四諦(したい)」です。

 

ブッダの教えの中で、最も根源的であり、重要な考え方として示されている考え方がこの「縁起」と「四諦」です。

 

ブッダの考え方を理解するには、この「縁起」と「四諦」の関連性について学んでいく必要があります。

そのためにまず「縁起」が何かを理解する必要があります。

四諦についてはこちらをご覧下さい。

「四諦」とは何か…仏教とブッダの教えの違いとは?

 

縁起は、意味を理解しなければ「???」となります

縁起とは何なのかを簡単に言いますと、

 

物事には、原因があるから、結果がある

と考えるということです。

 

・・・。

 

もしかしたら、(´Д` )ポカーン、、かもしれませんね(笑)

なんて当たり前なことを。。

これのどこが凄い考えなんだ、、そう思われたかもしれません。

 

私も初めてこの言葉に出会ったときは、ひたすら(´Д` )ポカーン(´Д` )ポカーン(´Д` )ポカーンでした。

 

このときはまさに私は「はあ? 悟りを開いて得られる到達点が、たかがそんなことなのか?」とひどくがっかりした記憶があります。

めちゃくちゃつまらない、どうでも良いことをブッダは、縁起などというたいそうな言葉を使って表現していて、そして信者がそれを崇めているなんて、何てバカバカしいのだろうと思ったのです。

しかし、これは大きな間違いでした。

 

この縁起というのは、シンプルだからこそ、実に奥が深い考え方なのです。

そう、まさに真理というほかないのです。

 

縁起は、宇宙の法則である“因縁”を示している

縁起は宇宙の流れを表している

縁起とは何かと言いますと、たとえば、種を植えるから、実がなりますよね。これを縁起の考え方で示しますと、種を植える、という原因を受けて、実がなるという結果が生じていることになる。

 

これは当たり前ではあるのですが、よくよく考えてみて下さい。

 

この世の中はすべてこの「AをBにしたからCになった」というルールに従っているのです。

何一つ例外はありません。すべてこのルールに従っています。

 

あなたが生まれたのも、両親がいたからです。あなたがいま目の前でこの文章を読めているのは、パソコンなり携帯電話を買ったからです。

そのパソコンなり携帯電話がそこにあるのは、誰かがそれをつくり、あなたに売ったからです。あなたがそれを買おうと思ったのは、テレビCMを見たり店頭で販売しているのを見たからです。

 

祖先が存在したから、いまのあなたがいる。ご先祖よりもずっと以前、弥生時代や戦国時代や江戸時代など、さまざまな原因と結果を経て、いまこの場所にあなたはいるのです。

 

この流れを「縁起」と言っているのです。

何らかの「原因」に「縁」が「起」こり、「結果」が訪れること。すなわち「因果」をもたらす「縁起」が、万物の摂理だとブッダは説いたのです。

 

この世の中に、縁起に絡まない物事はなく、すべてのものは「因縁」で結ばれており、縁起の流れから脱することは絶対にできないのです。

 

縁起が示すもの・・・それは“無常”

まだあなたの中には「それがどうしたの?」という感じがあるかもしれません。

その肩すかしの気持ちを解消するには、先に「無常」について説明する必要があります。

もう少しお付き合い下さい。

 

さて、この縁起の流れによって、万物はつねに、絶えず変化していきます。

花は実をつけ、やがて枯れますし、人は老いて死にます。

朽ちた花や人は、風化して風に舞い、土に還ります。その土から野菜や果物が成り、それを誰かが食べます。

 

島も移動を続けていますから、目に見えないレベルで世界地図はつねに変わっています。

太平洋プレートは1年間で10cm程度動いているらしいです。日本とハワイまでの距離も毎年数センチずつ近づいており、1億年後ぐらいには一つの島になるそうです。

 

現象そのものは、失われてはまた生まれ、生まれてはまた消えていく、これを繰り返しているだけです。

宇宙の誕生から現在まで、ありとあらゆるすべての事象はAがBになり、BがCになり、CがDになり、DがEになり、EがFになり・・・と縁起の法則によって、つねに変化を続けてきました。

 

この宇宙において、変化しないものは存在しない。

この考え方を「無常」と言います。

“常”なるものは“無”いということです。

 

無常が苦しみをもたらすのか?

無常が苦しみを呼ぶのか

ここで、人の心に「苦しみ」が発生する要因を、「無常」の観点から説明したいと思います。

 

 

例えば人は老います。

しかし「老いたくない」と考えた瞬間に、苦しみが降ってきます。

あるいは人は、“別れ”を経験します。

しかし「別れたくない」と考えた瞬間に、苦しみが降ってきます。

 

「もっとお金が欲しい」

でも、必ずしもそううまくいかない。そして苦しみます。

「もっとイケメンだったら」

でも、必ずしもそううまくはいかない。だから苦しみます。

 

そうです。

つまり、無常なる世の中、宇宙の仕組みに対し、逆らって「常でありたい」と思ったときや、そのあるがままの流れを受け入れようとしないとき、そこに苦しみが発生するのです。

 

宇宙からすれば「いやいや、無常なのが当たり前であって、そんな都合良くあんた1人の人生のために宇宙は合わせられませんから。何で自分の思いどおりになると思うんですか!」と思っているわけです。

 

宇宙自体が「無常システム」を導入しているのですから、宇宙からすれば苦も悲しみも、怒りも何もありません。ただ無常に時が流れていくだけ。

 

その流れに逆らって、勝手に人は苦しんだり、悲しんだり、落ち込んだり、イライラしたりしているのです。

宇宙には何もレッテルはありません。そこに勝手に人が「苦」などといちいち意味付けをわざわざして、その苦しみをわざわざ作り出して味わっている。

 

無常のものに対して、苦しみというレッテルをペタペタとわざわざ貼り付けて、勝手に苦しんでいるのが我々なのです。

世の中の事物、事象は、発生しては消え、消えては発生するように、常に形を変えているものなのです。

変化しないものはこの世にはあり得ないことです。

 

その変化していくものに対して、変化しないでくれ!! 俺の思うとおりになってくれ!! そう無茶を願うことが、苦しみの要因なのです。

 

水は冷えれば氷になり、熱すれば湯気になります。

それを冷えたら湯気になれ、熱すれば氷になれ!! と願って、なんで思うようにいかないのだ? と考えることは、全くの無駄な苦しみなのです。

 

氷を作りたいなら冷やす、湯気を作りたいなら熱する。

「ただこのように生きたら楽じゃね?」

ブッダの気づきはここにあったのです。

 

縁起・無常に基づいて「四諦」を考えてみる

この宇宙観に気づいたブッダが、この縁起と無常から発生する流れを踏まえて、人間界を苦なく生きるために、つまり悟りを開くために考え出したのが、四諦(したい)という悟りマニュアルです。

 

四諦について詳しくはこちらの項↓をご覧下さると良いかと思いますが、本稿でも簡単に四諦について説明をします。

「四諦」とは何か…仏教とブッダの教えの違いとは?

 

四諦とは、悟りを開くための4つの流れをしめしており、それは「苦」→「集」→「滅」→「道」となっています。

 

ブッダは、「苦」しむことについて、次のように考えています。

つまり、そもそも宇宙は縁起の流れにすぎません。そこに「苦」というレッテルを貼っているから、苦しいのだと。

「苦」というものを「集」めるから苦しい。

これもまさに縁起の法則です。

原因に縁が結ばれて、結果がある(「因」→「縁」→「果」)とする縁起そのものです。

 

 

ですから、この「因」を取り除けば、「苦」は発生しないとブッダは考えたのです。

従って、この「苦」を「集」めるという「縁」を取り除くこと=「滅」で、「苦」は発生しないと考えたわけです。

苦という原因を、集めてくるから苦しいわけですから、この苦という原因を集めなければ(「滅」)、苦という結果は訪れない。

だから、この滅を極める「道」を目ざすこと。

これが四諦の極意です。

 

どうやって「苦」を取り除くのか

苦を取り除いて安らぎを得たい

しかし、もしかすると疑問に思われるかもしれませんね。

  • といっても、その苦しみの原因を集めないって、どうやるんですか。
  • 原因を取り除けば、苦しみはないと簡単に言ってくれますが、それができたら苦労しないです。

 

あるいは、

  • 不愉快な上司をどうやって辞めさせたらいいんですか。
  • 借金が100万円ありますけど、その借金をどうやってすぐに返せと言うんですか。
  • 振られてしまったんですけど、どうすれば彼女は帰ってくるのですか。
  • 愛する祖父が亡くなりました。祖父は生き返りません。

そのとおりです。

その苦しみの根本を取り除くことは、無理です。

なぜなら、これは縁起、無常の流れに逆らえと言っているようなものだからです。

このあたりの解釈を間違えていらっしゃる方はとても多いです。

 

やっかいな上司を魔法のように消すことはできません。宝くじが明日、いきなり当たったりしません。振られた元カノが、やっぱりあなたが好きなどと都合良く帰ってきたりしません。ドラゴンボールでもない限り、祖父は生き返りません。

 

どうしても、我々現世に生きる者にとっては、その原因そのものを変えたくなってしまいます。

奇跡的な何かを求めるのです。

しかし、ブッダ、お釈迦様に言わせると、それは執着であり、煩悩です。

 

この現世に、何らかの無理な期待をしてしまうと、それは苦しみに変わります。

仮に、元カノが戻ってきたり、100万円のtotoくじが当たったり、祖父が生き返ったとしても、その苦しみの根源は変わりません。

またいつ元カノが去ってしまうか、またいつお金に困ってしまうか、いずれにせよ祖父はまた死ぬじゃないか、と、このように、何かに執着している限り、苦しみは消えないのです。

 

繰り返しになりますが、苦しみの原因は、何らかの事象にくっついているのではありません。

むしろ逆に、宇宙の法則である「縁起」という事象に「苦」というレッテルを張り付けて観てしまっているのが事実です。

 

縁起を理解し、「苦」を張り付けずに生きること。これがブッダのいう悟りなのです。

その道を目ざすことが四諦における「道」であります。

 

悟りの道へ進むために、「四諦」も詳しく学んでいきましょう。

「四諦」とは何か…仏教とブッダの教えの違いとは?

「四諦」とは何か…仏教とブッダの教えの違いとは?

仏教とブッダの教えは異なる

仏教の作法に詳しい方がいます。

私の祖母などがそうです。

浄土真宗本願寺派、真宗大谷派、それらの作法はこうで、お経はこのように唱えて、仏事はこのように執り行って、墓はどうでこうで、など、多くのルールを知っております。

 

そして、般若心経という、間違ったお経を毎日唱え、私や私の家族などの幸福を願ってくれています。

般若心経の間違いについては、また別途記します。

祖母の祈りには感謝が絶えませんが、この仏教というものと、ブッダの教えとはかけ離れたものだということを思うたび、ため息を禁じ得ません。

そのことについては下記の記事にも記しました。

ブッダは信仰心ゼロだった…神様も輪廻転生も、ましてや仏教すら信じないってご存知でしたか

 

祖母はルールには詳しいですが、悟りの方はさっぱりで、毎日悩み事が絶えず、私によく愚痴をこぼしております。

孫である私としては、祖母が生きているだけでありがたいです。ですから、愚痴を言う元気があることはとてもありがたいことです。

しかし、この仏教というものが、祖母にとっては気休めにさえなっていない事実を感じるたび、やりきれない気持ちになるのは確かです。

祖母は、ブッダが一体、どのような教えを説いていたのかについて、全く知りません。

 

仏教に詳しい、熱心な仏教徒である祖母でさえ、その開祖たるブッダの教えを理解していないのです。

うーむ。

 

ブッダの教えを、なるべく分かりやすく書いていきます

かといって、ブッダの教えとは何か、と本で調べたり、ネットで調べたりすると、もう目がくらむような難しさです。

言葉が難しいので、なかなか意味が分かりません。

「求不得苦」とか「諸法無我」といった難しい言葉はすぐには頭に入ってこないでしょう。

 

そこで私は、このブッダの教えをできるだけ平易な言葉で記してみたいと思います。

祖母のような頭でっかちな迷い人になってしまわないよう、私自身も実践を兼ねて勉強していきたいと思います。

 

 

ブッダの教えには、大きく分けて、2つがあります。

それは「縁起」と「四諦(したい)」です。

 

縁起は世の中の仕組みについて説明したもので、四諦はその世の中をどうやって生き抜くか、を説明したマニュアルだと言えるでしょう。

 

そしてその四諦は、悟りに至るまでの流れを示しており、悟りに至るまでのトレーニング法を記したものです。

いわば、四諦は悟りガイドブックになります。

今回はその四諦について説明していきたいと思います。

縁起についてはこちらをご覧下さい。

縁起、そして無常とは何か? ブッダが考える宇宙の仕組み

 

四諦の意味と、その構造について

悟りに至るための四諦

四諦は悟りの根本原理について説明したマニュアルです。そしてその四諦の考えに従って、実際に悟りに至るためのトレーニング法をブッダは編み出しました。

それが「八正道」です。

 

ではまずブッダが示した、悟りを開くためのルートをさす四諦について説明していきましょう。

 

四諦とは「苦」→「集(じゅう)」→「滅」→「道」の流れで進む、4つの真理として説明されています。

 

まず初めの「苦」ですが、これはすべてが「苦」だという気づきから始まるとブッダは説明します。

ようは人生とは苦しみだということです。

具体的には「生老病死」という4つの苦をさします。

  • 生きるという苦しみ
  • 老いるという苦しみ
  • 病気になる苦しみ
  • 死ぬという苦しみ

この四苦が、人生における大きな4つの苦しみだというのです。

 

そしてさらに

  • 愛する人との別れ
  • 憎い人との出会い
  • 求めるものが手に入らないこと
  • 感情への囚われ

この4つの苦しみを加えて「四苦八苦」と言います。

この四苦八苦は、人が生きている以上、切り離せないものだとブッダは気づきました。

 

そしてこれらの「苦」を感じ取る役割を持っているのが「自我」です。

たとえば

  • 生きたい
  • 老いたくない
  • 死にたくない
  • いまの生活を失いたくない
  • あの子と付き合いたい
  • あんな奴いなくなればいいのに

こういった欲、つまり煩悩というのは、自我がその「苦」を感じ取った瞬間に発生するわけです。

この自我が「苦」を感じ取る作用のことを「集」と言います。

 

ここで注意したいのは、苦しみというものは、自我がそれを「集」めてくるから、発生するのだとブッダが主張している点です。

「苦」というもの自体が発生していても、それを「集」しなければ、「苦」は発生しないですよ、とブッダは言うのです。

 

つまり、自分の内部に「苦」があるのではなく、自我(煩悩)の作用によって、わざわざ「苦」を「集」めてくるから苦しいのだ、四苦八苦を感じてしまうのだ、というのがブッダの根本的な考えなのです。

ここがこの考え方の面白いところです。

 

たしかに人には、四苦八苦があるかもしれないが、そのことに抵抗、つまり「集」をしなければ「苦」は発生しないとブッダは主張するわけです。

 

死ぬことを怖れない、愛する人を失うことを怖れない、お金を失うことを怖れない。

怖れないというよりは、厳密には「気にしない」という感覚が近いでしょう。

こういう状態であれば、四苦八苦がいくら存在していても、「集」をしていませんから、「苦」しくないという理屈です。

 

したがって、この「集」をやめれば、煩悩=「苦」はありませんよ、そうブッダは主張しています。

そして自分がこの「集」を行っていることに気づき、そして「集」をやめること。それこそが「滅」です。

 

この「苦」「集」「滅」の流れこそ、まさに悟りそのものです。悟りのメカニズムを説明書のように記していると言ってもよいでしょう。

そうです。

それは下記の記事でも書いていますが、つまりこの「滅」こそ、悟りを開くための方法なのです。

自我の刺激を排除すれば、悟りを開くことができる

 

そしてこの「滅」を行う訓練をするために修行をしましょうというのが、「道」です。

 

四苦八苦の人生に生きる意味はあるのか

四苦八苦の人生は嫌だ

ところでこの「四苦八苦」ですが、生きることが苦しみだと言われると、

「生まれてくるんじゃなかった!」

「生まれてきたことが不幸そのものなのだ!」

などと悲観したりしてしまいがちです。

そんな悲観的なことが果たして本当にブッダの教えなのか?

 

そう思われるかもしれません。

 

そして、

 

「人生が『苦』なのであれば、もう生きている意味はない。自殺しよう」

そうお考えの方もいらっしゃるかもしれません。

 

 

しかし、だからこそ悟りを開くわけです。

自殺などしなくても、「苦」を退けるよう悟りを開くことで、心の平穏が訪れるのです。

悟りの道の幸福については下記の記事が詳しいです。

悟りとは何か? 悟りとは科学的なものだった

 

また、人生は「四苦八苦」だと主張するブッダに対して、

「この世には楽しいことだっていっぱいある。ブッダは何でもかんでも悲観的に考えすぎだ」と、そういった反論があるかもしれません。

 

これについては、快楽すらも苦しみでしかないことによって説明がつきます。

それもこちらで説明をさせていただきました。

自我の刺激を排除すれば、悟りを開くことができる

 

快楽というのは、それをたしなんでいるうちは良いのですが、依存してしまうとさらに強い快楽を、と求めてしまう習性があります。

楽しいことのあとには、楽しくないことも待っています。

そのジェットコースターのような人生を生きるのも一つのあり方です。

一方で、そういう人生にはこりごり、もう疲れたというあなたは、私と一緒に悟りの道を進みましょう。

 

そのほかにも、

「生まれてきたことが苦しみだとは、何たる親不孝者! 失礼なことだ」

といった反論もあるでしょう。

 

生まれてきたことは苦しみだとしても、だからといってご縁によっていただいた人生を否定するわけではありません。

悟りの道には、親も子も関係ありません。ひたすら修行あるのみです。

 

まとめ

今回はブッダの教えの根幹である四諦について話していきました。

もうこの教えだけで、ブッダの教えのすべてが詰まっているといっても過言ではありません。

悟るために必要な情報はもう、この四諦の中にエッセンスとして詰まっています。

 

この四諦の道すじをたどり、どうぞ私とともに悟りの道を目ざしましょう。