「ホ・オポノポノ」というハワイに伝わるセルフクリーニング法があります。

セルフクリーニングとは何かと言われると説明が難しいですが、ようは自己浄化、自分の心を洗い流すためのトレーニング法(メソッド)です。

ホ・オポノポノは詐欺なのか

(画像は公式ページより)

 

私は、ホ・オポノポノも悟りに近づくための手法(メソッド)の一種だと思います。

 

悟りというものは履いて捨てても溢れ出てくる自我(エゴ)をとにかく排除するものです。

その考え方について詳しくはこちらをご参照下さい。

自我の刺激を排除すれば、悟りを開くことができる

 

このホ・オポノポノもこの自我を浄化するトレーニングですから、私が基本的にお勧めしている呼吸瞑想止観瞑想が面倒とか難しいと感じる方は、このトレーニング法が簡単だと思います。

やってみる価値はあるのではないでしょうか。

ぜひこの記事を読んで、ホ・オポノポノに親しんでみてください。

 

ホ・オポノポノとは、どのようなメソッドなのか

さてこのホ・オポノポノがどんな手法かと言いますと、実に簡単です。

モヤモヤしたものが頭に湧いてきたときに、次のように唱えるというものです。

「ありがとうございます。ごめんなさい。愛しています。許して下さい」

 

……急にうさんくさく感じ始めましたでしょうか?(笑)

 

そのお気持ちはよく分かります。

「こんないかにもスピリチュアリズムな呪文を唱えるだけだなんて、嘘くさい。スピリチュアル商法だ!」

そうお考えのあなたはスピリチュアル中毒にハマっていない、ちゃんとしたお考え、リテラシーをお持ちの方とお察しいたします。

 

確かに世の中にはうさんくさいスピリチュアル商法がありますが、このホ・オポノポノは一見うさんくさいですが、効果があると私は思います。

この4つの言葉をとりあえず唱えておけばよいので、お金もかかりませんから詐欺にもあいません(笑)

 

ホ・オポノポノについて詳しく知りたいというわけでないなら、本も買わなくてよいと思います。

 

本もいらない、唱えるだけ、ですから、やってみる価値はあるかもしれません。

何を隠そう、私も一時期、しっかりやっていたため、エゴがグッと降ってきたときには、この呪文を唱える癖があり、時々唱えたりしています。

 

ホ・オポノポノと瞑想の違い

 

ありがとう、ごめんなさい、愛しています、許してください

例えば彼氏と上手くいかないことでイライラしているといった自我のモヤモヤが湧いてきたとき、瞑想においては、こういったモヤモヤを俯瞰することを重視します。

その気持ちに同化せず、観察したり、その気持ちを受け流すわけです。

これにより、その問題で不快になることに意味がないことに気づいたり、気持ちを落ち着けることで、正しい考えを導き出したり、その根本原因に気づくことができたりします。

 

※ちなみに、瞑想で気をつけたいのは、「答えを導き出そう」とか「瞑想で問題を解決するんだ」などと考えて取り組まないことです。

なぜなら、そのように考えたとたんに、“瞑想を解決する手段として考える自我”が登場し、あなたをコントロールし始めるからです。

自我が出しゃばってくると、心はいつまでも静まりません。永久にあなたに対し、解決しようのない疑問を投げつけてきます。こうなると自我の思うツボです。

ですから、瞑想をする場合は、余計なことは考えずにただただ、瞑想に集中するようにして下さい。

 

話が逸れてしまいましたが、この話でもお分かりのとおり、瞑想というのは多少、面倒なものです。

 

それに対しホ・オポノポノは、この観察ができなくても問題がありません。

観察の代わりに、ありがとう、ごめんなさい、許して下さい、愛していますの4つの言葉で、観察したときと同じような効果をもたらすわけです。

実に簡単ですねえ。

 

ホ・オポノポノが利用するのは言葉の力(言霊)

ホ・オポノポノは言霊を使う

ホ・オポノポノの場合、不快な感情を手放すために、瞑想のように観察する代わりに、言霊(ことだま)の力を借ります。

 

言霊、などというとまたスピリチュアル臭くなってしまうのですが(笑)、ようは“言葉の力”ということです。

 

たとえば「ありがとう」という言葉って、子供の時からずっと使っていますよね。

ですから「ありがとう」と口にした瞬間、心の中でも自然と「ありがとう」という気持ちが沸き上がってくるんですね。

「ごめんなさい」や「許して下さい」、「愛しています」も同じです。その言葉を口にした瞬間に、その言葉の感情が沸き上がってくるわけです。

 

では、このホ・オポノポノはこの言霊をどのように使っていくのでしょうか。

 

先のように彼氏と上手くいかないといった要因には

  • 彼氏が連絡をくれない
  • あなたに対して辛く当たる
  • 結婚を嫌がっている

——とか、そういったものが浮上してくると思います。

 

ところが、これらの不満は表面上のものでしかありません。

 

彼氏が連絡をくれないことで、心の底では、

  • 自分が軽視されているのではないか
  • 自分は彼氏に認められていないのではないか
  • 自分はこの世に必要な人間なのだろうか

といった根源的な不安に苛まれています。

 

そしてこれらの不安というのは、例えば、

  • 過去の過ちに対しての後悔の気持ち
  • 誰かに対しての不満の気持ち
  • 未来への恐怖
  • 自己卑下

というような気持ちから生じております。

 

ホ・オポノポノは、この根源的な不安に注目します。

そしてホ・オポノポノでは、この根本的な自我による心の不満、イライラ、悲しみなどの要因を4つのカテゴリーに分けるのです。

その4つというのが、つまり

  1. ありがとう(自分への感謝)
  2. ごめんなさい(自分への謝罪)
  3. 許して下さい(自分への許し)
  4. 愛しています(自分への愛)

です。

自我が生じさせる不快の原因を、これら4つに分類するのです。

 

不快な感情はだれのせいか

ここで少し、疑問が生じる方がいるかもしれません。

「不快な感情というのは、必ずしも自分の問題とは限らないのではないでしょうか」

「誰かが不快な行動をしたせいで、不快な感情に苛まれている場合は、自分のせいではないはずです」

 

これも確かにそうです。

しかし、不快な“出来事”と、不快な“感情”を同じように考えてはいけません。

 

なぜなら、心への不快な感情は、相手がどう思っているとか、相手がどういう態度だから、ということと、全く関係がないからです。

たとえ相手がどういう態度をしてこようと、あなたがそれに取り合わなければ、そこにダメージは存在しえないからです。

 

たとえばあなたが職場の社長に「君はクビだ」と言われると、ショックを受けるでしょう。

しかし、自分の幼い子供から「君はクビだ」などと言われたところで、ままごとにしか思いません。

同じ言葉であっても、言われている意味を、あなたがどう捉えるかだけで、気持ちの有り様は変えることができるわけです。

 

それはつまり、相手の行動のせいであなたがショックを受けているのではなく、相手の行動に対して、あなたがどう反応するかが原因だということです。

 

お怒りの上司から「君のために怒っているのだぞ」と言われたときに「うるせーよバカ」と思うのか「ああ有難いことだな」と思うか「この男は自己顕示欲を満たしたいのだな」と思うかは、相手の行動に関わらず、あなたが決めています。言い換えると、あなたが決めることができるわけです。

つまり、あなたの心は、相手がどういう行動を取るかに左右されません。

すべて、あなた自身が決めることができ、そして逆に言うと、あなた自身がすべての不快な気持ちを自分自身で引き起こしているということです。

 

もちろん「クビになる」とか「怒られる」という不快な“出来事”が客観的に生じているという事実は確かにあります。それに対して、どう反応するかはあなた次第ということです。

その不快な出来事を何でも許容しろという意味ではありませんので、ご理解ください。

 

では話を戻します。

 

ホ・オポノポノは自動的に心の問題を処理してくれる

ホ・オポノポノがもたらす力

ホ・オポノポノは、そのように4つに分けた不快な感情のカテゴリーに対して、その感情を癒すことができる言霊を投げかけることで、瞑想と同じように心の中の掃除していくのです。

 

ホ・オポノポノが優れているのは、言葉の力を借りるわけですから、その感情が4つのカテゴリーのどのカテゴリーに属しているか、原因は何なのかを考える必要がないということです。

 

つまり、原因がどういうところにあるのか分かっていなくても、言葉を述べると自然に沸き上がってくる気持ちを使って、自動的に心の整理をしてしまうという荒技を行うわけです(笑)

 

しかも、さらに荒っぽくて、そして画期的なところは、その感情は4つの感情のどれかに属しているはずなので、4つの感情の“どれかが当たればそれで良い”とばかりに、4つの言葉を全部述べてしまうところです。

 

なので、

ありがとう、ごめんなさい、許して下さい、愛しています

と、いちいち4つすべてを唱えるわけです。

 

いずれかの言葉が、心に刺さるだろうというわけです。

実に面白いですね。

 

まとめ

さて、今回のお話で、ホ・オポノポノに興味を持っていただけましたでしょうか。

 

私個人としては、やはり瞑想の方が効果としては分があると思います。

ホ・オポノポノは簡単な分、浸透が遅いように思います。

 

瞑想もそうですが、つねに自我を停止状態にしている方が悟りには良いわけです。

であれば、仮にホ・オポノポノで悟りに近づくとしたら、いちいち起こってくる不快な感情に対してすべてに呪文を唱えなければなりません。

 

となると、やはりその感情を捕まえる訓練が必要になります。

つまり、瞑想における“観察”が必要になるわけです。

 

ホ・オポノポノをするにせよ瞑想をするにせよ、結局向かう先は同じ、ということなのかもしれませんね。


スポンサーリンク