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ブッダが悟りを開くために、最も重要な考え方として示したのは「縁起」という考え方です。
そしてその「縁起」に基づいて生きる智慧が「四諦(したい)」です。
ブッダの教えの中で、最も根源的であり、重要な考え方として示されている考え方がこの「縁起」と「四諦」です。
ブッダの考え方を理解するには、この「縁起」と「四諦」の関連性について学んでいく必要があります。
そのためにまず「縁起」が何かを理解する必要があります。
四諦についてはこちらをご覧下さい。
縁起は、意味を理解しなければ「???」となります
縁起とは何なのかを簡単に言いますと、
物事には、原因があるから、結果がある
と考えるということです。
・・・。
もしかしたら、(´Д` )ポカーン、、かもしれませんね(笑)
なんて当たり前なことを。。
これのどこが凄い考えなんだ、、そう思われたかもしれません。
私も初めてこの言葉に出会ったときは、ひたすら(´Д` )ポカーン(´Д` )ポカーン(´Д` )ポカーンでした。
このときはまさに私は「はあ? 悟りを開いて得られる到達点が、
めちゃくちゃつまらない、どうでも良いことをブッダは、
しかし、これは大きな間違いでした。
この縁起というのは、シンプルだからこそ、実に奥が深い考え方なのです。
そう、まさに真理というほかないのです。
縁起は、宇宙の法則である“因縁”を示している
縁起とは何かと言いますと、たとえば、種を植えるから、実がなりますよね。これを縁起の考え方で示しますと、種を植える、という原因を受けて、実がなるという結果が生じていることになる。
これは当たり前ではあるのですが、よくよく考えてみて下さい。
この世の中はすべてこの「AをBにしたからCになった」というルールに従っているのです。
何一つ例外はありません。すべてこのルールに従っています。
あなたが生まれたのも、両親がいたからです。あなたがいま目の前でこの文章を読めているのは、パソコンなり携帯電話を買ったからです。
そのパソコンなり携帯電話がそこにあるのは、誰かがそれをつくり、あなたに売ったからです。あなたがそれを買おうと思ったのは、テレビCMを見たり店頭で販売しているのを見たからです。
祖先が存在したから、いまのあなたがいる。ご先祖よりもずっと以前、弥生時代や戦国時代や江戸時代など、さまざまな原因と結果を経て、いまこの場所にあなたはいるのです。
この流れを「縁起」と言っているのです。
何らかの「原因」に「縁」が「起」こり、「結果」が訪れること。すなわち「因果」をもたらす「縁起」が、万物の摂理だとブッダは説いたのです。
この世の中に、縁起に絡まない物事はなく、すべてのものは「因縁」で結ばれており、縁起の流れから脱することは絶対にできないのです。
縁起が示すもの・・・それは“無常”
まだあなたの中には「それがどうしたの?」という感じがあるかもしれません。
その肩すかしの気持ちを解消するには、先に「無常」について説明する必要があります。
もう少しお付き合い下さい。
さて、この縁起の流れによって、万物はつねに、絶えず変化していきます。
花は実をつけ、やがて枯れますし、人は老いて死にます。
朽ちた花や人は、風化して風に舞い、土に還ります。その土から野菜や果物が成り、それを誰かが食べます。
島も移動を続けていますから、目に見えないレベルで世界地図はつねに変わっています。
太平洋プレートは1年間で10cm程度動いているらしいです。日本とハワイまでの距離も毎年数センチずつ近づいており、1億年後ぐらいには一つの島になるそうです。
現象そのものは、失われてはまた生まれ、
宇宙の誕生から現在まで、ありとあらゆるすべての事象はAがBになり、BがCになり、CがDになり、DがEになり、EがFになり・・・と縁起の法則によって、つねに変化を続けてきました。
この宇宙において、変化しないものは存在しない。
この考え方を「無常」と言います。
“常”なるものは“無”いということです。
無常が苦しみをもたらすのか?
ここで、人の心に「苦しみ」が発生する要因を、「無常」の観点から説明したいと思います。
例えば人は老います。
しかし「老いたくない」と考えた瞬間に、苦しみが降ってきます。
あるいは人は、“別れ”を経験します。
しかし「別れたくない」と考えた瞬間に、苦しみが降ってきます。
「もっとお金が欲しい」
でも、必ずしもそううまくいかない。そして苦しみます。
「もっとイケメンだったら」
でも、必ずしもそううまくはいかない。だから苦しみます。
そうです。
つまり、無常なる世の中、宇宙の仕組みに対し、逆らって「常でありたい」と思ったときや、そのあるがままの流れを受け入れようとしないとき、そこに苦しみが発生するのです。
宇宙からすれば「いやいや、無常なのが当たり前であって、そんな都合良くあんた1人の人生のために宇宙は合わせられませんから。何で自分の思いどおりになると思うんですか!」と思っているわけです。
宇宙自体が「無常システム」を導入しているのですから、宇宙からすれば苦も悲しみも、怒りも何もありません。ただ無常に時が流れていくだけ。
その流れに逆らって、勝手に人は苦しんだり、悲しんだり、落ち込んだり、イライラしたりしているのです。
宇宙には何もレッテルはありません。そこに勝手に人が「苦」などと
無常のものに対して、
世の中の事物、事象は、発生しては消え、
変化しないものはこの世にはあり得ないことです。
その変化していくものに対して、変化しないでくれ!! 俺の思うとおりになってくれ!! そう無茶を願うことが、苦しみの要因なのです。
水は冷えれば氷になり、熱すれば湯気になります。
それを冷えたら湯気になれ、熱すれば氷になれ!! と願って、なんで思うようにいかないのだ? と考えることは、全くの無駄な苦しみなのです。
氷を作りたいなら冷やす、湯気を作りたいなら熱する。
「ただこのように生きたら楽じゃね?」
ブッダの気づきはここにあったのです。
縁起・無常に基づいて「四諦」を考えてみる
この宇宙観に気づいたブッダが、この縁起と無常から発生する流れを踏まえて、人間界を苦なく生きるために、つまり悟りを開くために考え出したのが、四諦(したい)という悟りマニュアルです。
四諦について詳しくはこちらの項↓をご覧下さると良いかと思いますが、本稿でも簡単に四諦について説明をします。
四諦とは、悟りを開くための4つの流れをしめしており、それは「苦」→「集」→「滅」→「道」となっています。
ブッダは、「苦」しむことについて、次のように考えています。
つまり、そもそも宇宙は縁起の流れにすぎません。そこに「苦」というレッテルを貼っているから、苦しいのだと。
「苦」というものを「集」めるから苦しい。
これもまさに縁起の法則です。
原因に縁が結ばれて、結果がある(「因」→「縁」→「果」)とする縁起そのものです。
ですから、この「因」を取り除けば、「苦」は発生しないとブッダは考えたのです。
従って、この「苦」を「集」めるという「縁」を取り除くこと=「滅」で、「苦」は発生しないと考えたわけです。
苦という原因を、集めてくるから苦しいわけですから、
だから、この滅を極める「道」を目ざすこと。
これが四諦の極意です。
どうやって「苦」を取り除くのか
しかし、もしかすると疑問に思われるかもしれませんね。
- といっても、その苦しみの原因を集めないって、
どうやるんですか。 - 原因を取り除けば、苦しみはないと簡単に言ってくれますが、
それができたら苦労しないです。
あるいは、
- 不愉快な上司をどうやって辞めさせたらいいんですか。
- 借金が100万円ありますけど、
その借金をどうやってすぐに返せと言うんですか。 - 振られてしまったんですけど、
どうすれば彼女は帰ってくるのですか。 - 愛する祖父が亡くなりました。祖父は生き返りません。
そのとおりです。
その苦しみの根本を取り除くことは、無理です。
なぜなら、これは縁起、無常の流れに逆らえと言っているようなものだからです。
このあたりの解釈を間違えていらっしゃる方はとても多いです。
やっかいな上司を魔法のように消すことはできません。
どうしても、我々現世に生きる者にとっては、
奇跡的な何かを求めるのです。
しかし、ブッダ、お釈迦様に言わせると、それは執着であり、
この現世に、何らかの無理な期待をしてしまうと、
仮に、元カノが戻ってきたり、
またいつ元カノが去ってしまうか、
繰り返しになりますが、苦しみの原因は、
むしろ逆に、宇宙の法則である「縁起」という事象に「苦」というレッテルを張り付けて観てしまっているのが事実です。
縁起を理解し、「苦」を張り付けずに生きること。これがブッダのいう悟りなのです。
その道を目ざすことが四諦における「道」であります。
悟りの道へ進むために、「四諦」も詳しく学んでいきましょう。