ニーチェとブッダの違い

かつて、世の中という理不尽さに立ち向かおうとした男たちがいました。

 

1人はブッダ。

そして今回、もう1人の男を取り上げます。

ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェです。

 

彼はブッダとはまた異なる観点から、人間を苦しみから解放しようと試みました。

 

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素晴らしい日本。でも生きていくのはなんと辛いことか

世の中というのは、なんと辛いんでしょうね。

 

阪神淡路大震災、東日本大震災、熊本地震。

数々の病に、不慮の事故。

倒産、リストラ、借金。

 

こういったことを持ち出さなくても、普通にいまの20代、30代は年収300万円とかで、奨学金の返済もして、生きることにカツカツ、結婚もできないという方がたくさんいらっしゃいます。

 

日本は素晴らしい法治国家です。

治安は世界一良いですし、国民皆保険制度は完備され、識字率も高く、教育も受けられます。栄養価が考えられた給食もあります。24時間開いているコンビニもあります。

 

それはわかっているのですが、それでも、大変な時代だと思います。

生きるということは、まさに常にリスクと隣り合わせ。

リスクヘッジをしながら、なんとか毎日を生きている。。

そんな気がします。

 

ブッダはこの世の中に対し「無常」を説きます

しかし、ブッダの価値観からすれば、そういった一切合切、何もかも、我々が先入観、思い込みで貼り付けたレッテルに過ぎません。

すべてはエゴの仕業だとブッダは言うでしょう。

地震といっても、それは地盤が揺れただけ。

その結果、その地盤の上にいた人が、亡くなってしまった。

 

例えば長時間、冷凍庫に入っていれば、すぐに死んでしまいますよね。

しかし、水が凍ることを残酷だとは思いませんよね?

 

凍る、という自然現象に、人の死、という感情がプラスアルファされるから残酷なのです。

自然現象そのものには、嬉しいも悲しいもない。

 

地震で人が亡くなっても、それを人間的な視点から見れば、とても悲しいことですが、自然現象の中で、地面が揺れた、という事実だけを捉えると、そこには何も感情を挟む余地がありません。

 

水は時として凍り、風は時として強風になり、地面は時として大きく揺れる。

この世の中に一つとして、同じ形で留まっているものはない。

 

それが自然の摂理なのだとブッダは説きました。

この考えこそ「無常」です。

【参考】

縁起、そして無常とは何か? ブッダが考える宇宙の仕組み

 

「無常」とニーチェの「永劫回帰」のつながり

無常と永劫回帰

すべては無常。。

こう考えると、厭世的になったり、ニヒリズムに陥ったりします。

しかし、ブッダは決してこういったニヒリズムになることを推奨してはいません。

 

たとえば哲学者のニーチェは、世の中が人間的視点からみて虚無的なものだということを認めた上で、その世の中を強く生きることを勧めました。

ニーチェは人を超えた存在になることを提唱していました。

そう。

「超人」になれ!と勧めたわけです。

 

ニヒリズムを克服し、無意味な人生の悲惨さを乗り越えるためには、ニヒリズムを直視し、ニヒリズムを徹底する以外にない。人間は本来、一度きりの人生を十分に楽しみ、肯定的に生きるべきだ。そのためには、たとえ、どんな境遇であろうとも、どんな人生であったとしても、「人生とはそういうものなのか、よしそれならばもう一度」と叫んでしまおう。どんな人生であったとしても、「まったく同じ人生をもう一度生きたい!」と思えるように生きることだ。

代表的著書「ツァラトゥストラかく語りき」で上記のように述べています。

仮にこの苦しい人生をもう一度同じように体験することになったとしても、それどころか何万回となく体験することになったとしても、「これが人生というものなんだな、ではもう一度同じ人生を体験してやろう!!」と言える超人になろう、と言っているのです。

 

ニヒリズム的なこの無常の世の中を、肯定的に受け入れること=「運命愛」をニーチェは説いたのです。

しかし、ニーチェは最後に精神錯乱してしまったように、苦しみの因果をマッチョイズムで乗り越えようとしても、狂ってしまうだけです。

 

こんなもん、誰が考えても絶対無理でしょ(笑)

運命愛って、、そりゃ無理ってもんですよね。

 

どんなに辛いことがあっても、「よしもう一度!」って、青汁じゃないんだから(笑)

 

少なくとも私は超人にはなれません。

 

漫画「ジョジョの奇妙な冒険」に出てくるディオは、

おれは人間をやめるぞ!ジョジョーーッ!

おれは人間を超越するッ!
ジョジョおまえの血でだァーッ!!

と言って、人間をやめて吸血鬼になりました。

 

人間を超えようとしても、ニーチェのように発狂するか、吸血鬼になるしか道はありません(笑)

 

ブッダはつねに「思考をやめること」を説く

では、仏陀(ぶっだ)のアプローチは果たしてどうでしょうか。

 

ブッダはこの救いがたい人の業を、どのように乗り越えることを推奨しているでしょうか。

 

ブッダの場合はカンタンです。

ブッダのアプローチは、人生を厭世的に考えたり、虚無的に見たりしてしまう“この思考”をやめれば、苦しまずに済むよ、とこう述べるわけです。

 

これはもうブッダの定番のアプローチですね。

このアプローチを詳しく理解するには「縁起」と「無常」について学びましょう。

縁起、そして無常とは何か? ブッダが考える宇宙の仕組み

 

ブッダは苦しみの原因はすべて「苦しいと思うから苦しい。この“思う”ことをやめれば、苦しくない」と説きました。

これが悟りの極意です。

 

ブッダの考えもニヒリズムなのか?

縁起は宇宙の法則

しかし、こう考えると、人生に意味なんて見いだせなくなりそうですよね。

何も考えない。

何に対しても、苦しみも喜びももたない。

 

だって考えないわけですから、何も持ちようがありません。

 

こうなるともう「じゃあ別に、大量殺戮をしてもいいじゃん。世の中に意味なんてないんだから。レイプしまくったっていいんだ、どうせ無常なんだから」と考えてしまう人もいるでしょう。

いても不思議ではありません。

 

また、今生に意味を見出せずに、自殺してしまう人もいるかもしれません。

 

ニーチェのように克服することもできず、かといって無常だから、人生は無意味だという考え方で良いのでしょうか。

 

宇宙の法則である「縁起」には誰も逆らえない

ではブッダはどのように考えているのでしょうか。

その答えも実は、縁起にあります。

縁起、そして無常とは何か? ブッダが考える宇宙の仕組み

 

あなたが世の中を無常と考え、あまつさえ、無意味だと考えたとします。

ところが、そう考えたところで、物事の縁、人の縁といった、縁起はなくならないんですよね。

 

だって、世の中に常なるものがないとしても、そこに縁そのものが存在しているのは確かなのですから。

 

縁というものは、自分が望む/望まないにかかわらず、存在し続けるものです。

 

ニヒリズムになるということは、その縁を否定するものですが、否定したところで、縁が存在しているという事実は揺らぎようがありません。

透明人間になったとしても、あなたは存在しています。

仮に自殺したところで、自殺したという事実(縁)は存在します。

 

この地球上に存在する限り、縁起が生まれ続けるのです。

良くも悪くも、どうあがいても、その縁の波の中から、我々は誰一人、逃れることはできないのです。

 

大量殺人をすれば、誰かが悲しみます。

あなたが自殺すれば、誰かが悲しみます。

 

人の縁というのは、そのようにできているのです。

ですから、もう生まれてきてしまった以上は、縁起のもとに、ただひたすらまじめに、一生懸命生きていくしかありません。

それが人の縁です。

 

そして、その縁起と無常の苦しみから解き放たれるために、我々は悟りを目ざすのです。


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