目次
「悟り」というと、どうしても宗教的な概念とか、スピリチュアルな概念に取り込まれてしまいますよね。
- 「心の中に愛を感じてください」
- 「あなたそのものが『愛』なんです」
- 「ありのままの自分を好きになってください」
- 「『認識を変化』させましょう」
- 「悟りはすでに自分の中にあります」
- 「自分のインナーチャイルドに話しかけてみてください」
とかですよね。
しかし、こういったものをみると私がよく思うのは「インナーチャイルドって一体なんだよ?」ということです。
そのほかにも、
「心の中の愛を感じるってなんだ?」
「ありのままの自分ってなんだ?」
「『あなたはすでに悟っているのです』とか言う先生もいるけど、それってどういうことなんだ?」
スピリチュアルの先生方が話す内容はあまりにも抽象的すぎて、そして観念的すぎるために、ほとんど禅問答のような様相をなしてしまいます。
スピリチュアルに関する掲示板とかをみても、もはやどれだけ弁達に優れているかを競っているだけのような感じになっています^^;
うまいことを言ったり、たくさんの人の心にいかに共感を得られるようにするかばかりが先行して、本当に悟りを得るための技術についてはないがしろにされているのではないか、と感じるのです。
内面と向き合う必要なんてない
それこそよく、スピリチュアル系の話をきいていますと、
- 心の中のトラウマが悟りを阻害している
- 自分の心に蓋をしている
- 自分の心の痛みと向き合っていない
といった言説がみられます。
確かに、自分の心の中の、自分でも気づいていなかった点に気づきを得ることで心の中の盲点(ストコーマ)が外れて、
- 「ああ、俺はこんなことで悩んでいたのか」
- 「ああ、私の中には、こんな一面もあったんだな」
というような、小さな「悟り」体験をすることができます。
この気づきの体験は確かに、悟りに近づいていると思います。
しかし、こんな面倒なことはしなくても良いと私は思うのです。
いわゆる一般的なスピリチュアル的アプローチである、自分を癒し、自分を愛することで悟りを得る、ということは、間違いではないのですが「それをしなければ悟りを得られない」というものでもありません。
つまり、自分を愛したり、神様に祈ったり、インナーチャイルドに許しを得たり、般若心経を唱えたり、感謝をしまくったり、「ありがとう」と1000回唱えたり、トイレ掃除をしたりしなくても、悟ることができます。
悟る方法は下記でも説明させていただきましたが、
ようは思考することをやめれば悟りは開けます。
思考がすべての苦悩、煩悩の生みの親です。
この苦悩と煩悩を初めから湧き上がらせなければ、あるいは湧き上がったとしても、それを黙殺してしまえば、悩みや苦しみは発生しません。
それこそが悟りの真実です。
これさえ実施できれば、悟ることができます。
別に、宇宙の神秘の力を借りたり、悟りのための修行をしたり、あなたの心の内面を見つめなおしてみたり、スピリチュアルにおけるさまざまなトレーニングやセルフクリーニング的なメソッドをしなくても良いのです。
すべては幻。
苦悩というのは、思考という幻が見せていた夢にすぎないと気づくことができれば、もうそこは悟りの世界です。
難しい顔をして考え込んだり、悟りすました仙人のように振舞ったりしなくても、ただ思考さえ止めることができれば、そこに悟りが存在します。
悟りというものが素晴らしい何かだと思わなくてもいいのです。
悟りというのはただ、ある種、単なる脳機能のトレーニングでしかありません。
スピリチュアルなどで神格化された幻想の「悟り」を追いかけるのはやめて、いますぐにも実現可能な、現実的な悟りをいまから目指しませんか。
現実的な悟りを体現させてくれる動画
今回、ご紹介したいこの動画は、まさに私が感じている「ただの悟り」を説明してくれるベストな動画でした。
非常に興味深い内容でしたので、ここで紹介させていただきます。
下記からは、内容を整理したコメントをさせていただきますので、よければそちらも合わせて見ながらぜひ、動画をご覧になってみてください。
「すべてのものを得た」にも苦しいのはなぜか
ジェフ・リーバーマンさんという方の動画です。
グーグル検索をしますと、同名の脚本家の方が出てきますが、この方は違う方のようです。一方、youtube上でこの名前を検索しますと、たくさんの動画が出てきます。ただ、どれも英語なので理解できません(笑)
したがって、このリーバーマン氏がどういった人物なのかはわかりかねるのですが、あまり気にせずみていくことにしましょう(笑)
動画の序盤では、リーバーマンさんが「必要なものすべてを得た」にもかかわらず、苦しみにさいなまれる自分を感じるということが説明されています。
そうなんですよね。
たとえお金をたくさん得ても、それを失う恐怖にさいなまれる。
絶世の美女やイケメンと結婚できても、そこからまた、喧嘩をしたり、うまくいかなくなったり、もめたりします。
たとえ、仲良く暮らしたとしても、最後には死という別れを迎えます。
このように、どのように生きても、人生には必ず苦しみがやってきます。
これに気づいたのがブッダです。
ブッダは生きることが「苦」であると断言しました。
人は必ず死にます。
死という苦しみには、たとえどんな超人でさえ乗り越えることができません。
たとえ、不老長寿の薬を飲んで、永遠の命を得たとしても、次は生きる苦しみにさいなまれるでしょう。
永遠に生き続けるというのも、苦しいものですから。
リーバーマンさんもおそらく、こういったことを考えられたのでしょう。
そして、どこまで行っても、人の人生は「苦」で彩られており、そこから抜け出すことができない、と気づかれたのだと思います。
しかしこのリーバーマンさんは、スピリチュアルな手段や宗教的アプローチ、哲学ではなく、その苦しみの根幹を、科学から解明しようとします。
人の体は原子やエネルギーの塊でしかない
動画の1分20秒ごろからは、人間がただの原子の塊にしかすぎず、さらにいえば、宇宙のあらゆるものはすべてエネルギーにすぎないと説明しています。
人の命には限りがありますが、この人の体をエネルギーとしてみれば、そこには宇宙と同じ年齢のエネルギーが飛び交っているだけです。
人というのは、厳密には人間ではなく、ただのエネルギーなのです。
「思考」していることは「現実」には起こっていないこと
つづいて2分40秒頃からは「思考」についての話題に入っていきます。
思考は「現実」のほかに、もう一つの「架空の世界」を作り出します。
未来や過去といった「想像の世界」です。
この想像力が人間を、あらゆる動物の頂点に立つ最強の生き物へと進化させてきました。
この意味で「思考」というものは素晴らしいものです。
しかし一方で、思考は、たとえ「考えたくない」とさえ思っているにもかかわらず、半ば強制的に「思考」をさせてきます。
- 辛い思い出
- 未来への不安
- ただ漠然とした悩み
- 嫉妬
考えたくもないのに、無理に考えさせられます。
そして重要なのは、考えたところで、解決しないということです。
しかし、それにもかかわらず、
- 大丈夫かな
- 寂しいな
- 辛いな
- 彼女欲しいな
- もっとお金があったらな
と、こんな無益な思考にどんどんさいなまれてしまい、そしてどんどん気持ちが落ち込んでいきます。
しかしこのリーバーマンさんは、そういった「思考に取り込まれる自分」を客観的に、そして科学的に観察することで、打開しようと試みます。
たとえば
- 色は視覚的な効果にすぎないということ
- 目に映る映像も、映画も、脳の中で構築されているだけのこと
- 知覚も、思考がただ音として流れているだけのこと
といったことを認識していくことが大事だというのです。
リーバーマンさん自身の悟りの体験
リーバーマンさんは、ご自身の悟り体験について、次のように説明しています。
思考や知覚したものへの注意を向けることを止めると、自分の意識の中にある、これらのものに気付いている自分に気付くようになります。
最後には、すべての思考、知覚、体、感覚に注意を向けることを止めると、知覚するものが何もなくなります。
これが自分であると考えていたものが何も残らなくなります。
ただし、私が存在するという感覚だけが残ります。
私は存在する(I Am)が残ります。
(中略)
この状態にあるとき、自分とは知覚を越えたものであるということに気づきました。
(中略)
私は存在する(I Am)は、完全に空の体験です。それは内実を欠いています。
私がそれを直接経験したとき、ものごとが生み出される源がありました。
たぶん、私は意識を持つ人間なのではなく、人間の形をした意識なのです。
このリーバーマンさんの説明は、まさに悟りですよね。
彼は、いわゆる愛がどうとか、スピリチュアルパワーがどうとか、そういった観点からではなく、冷静に自分の感覚と向き合った結果、このような悟りの感覚を持たれたのだと思います。
素晴らしいですね。
そして悟りを開かれたあとの感覚については次のように語られています。
もし自分がエネルギーであることに気づき、体と心はエネルギーの一次的な現れにすぎないと気付けば、体と心が死ぬことはないと分かります。
なぜなら、これまで、そして、これからも自分はエネルギーなのですから。
もしそれを直接体験したなら、満たされるためには何かをしなければならないという頭の中の声は力を失います。
まさにそのとき、もうその声を聞く必要はなくなります。人生はゲームであり、楽しみであり、遊びになるのです。
実に良い説明ですね。
過去や未来に一喜一憂したり、悩んだりしなくて良い。
人に認められるために何かをしたり、自分らしさを出そうとしたり、生きる意味を見出そうとしたり、苦労を買ってでもしたり、死ぬ気の努力をしたりしなくても良いのです。
ただ、エネルギーとしての自分の体を、有意義に使いましょうというプランなのです!
そしてさらにその体験をするためのコツとして
砂浜で砂のお城を作っていたとき、そのことに夢中で世界は消え去っていました。
そのとき、どこか到達すべき場所はなくなりました。
未来を計画することもなく、今だけがすべてだったのです。
と説明をされています。
こういった説明はスピリチュアルの先生方とあまり変わりませんが、論理的に説明されたあとだと、分かりやすいですよね。
ああしなきゃ、こうしなきゃ、こうじゃなきゃ、ああじゃなきゃ、という考えから離れて、いまこのひと時を楽しく生きる。
ここに悟りのヒントがあります。
わき上がる思考への対処法
ただ、「このひと時を楽しく生きる」というこというと、「このひと時を楽しく生きなければならない」と考えてしまう方も、いらっしゃいます。
そんな場合の対処法も、実は簡単です。
「あ、いま『しなければならない』と考えているな」と気づくことです。
人は、無意識的に思考の波に飲み込まれてしまいます。
ですので、いま自分が思考してしまっているかどうかに「気づく」ということがとても大事です。
ついついネガティブな悩みや、苦しみに取り込まれてしまいがちな人は、「いま自分が『思考』してしまっていないか」つね日ごろから脳内をチェックすることをお勧めします。
思考してしまっている自分に気づいたら、その思考からはリリースされますよね。
一般的に、悟りの先生なんかにいわせれば、思考に気づいた後、「感謝しています」とか「ありがとうございます」とか唱えましょうとか、アファメーションを唱えましょうとか、ポジティブな思考を上書きしましょうとか、自分を愛しましょうとか、いろいろな対処法があるようです。
しかし、私が思うには、こういったアファメーション等は不要です。
苦しい「思考」に取り込まれたときは、その「思考」に気づくことが大事であり、それ以上のことは必要ありません。
よく「その思考から脱しましょう」という先生もいますが、脱しなくていいです。
苦しんでいる思考があることに、気づくだけでいいんです。
なぜなら、その思考はあなたではないから。
思考は、あなたの脳が勝手に作り出しているだけで、あなた自身とは無関係です。
思考とはいったい何か?
そう断言しますと、「いやいや、思考はあなた自身です。あなたのことをよくわかっています」とおっしゃる方もいます。
しかし、よく考えてみて下さい。
たとえば体がガンなどの病気になっても、思考はそれがどういう状態なのか、全く理解しませんよね。
風邪で熱が出たとき、体内から白血球を出して、菌を退治する指令を、思考が出しているでしょうか?
必要なことは、体が勝手にやってくれますよね。
暑いときに汗を出したり、眠いときにあくびをしたり、食べ物を消化したり、けがを治癒したり。
すべてのことは、思考以外がやってくれています。
思考にできることなんて、ほとんど何もないのです。
ですから、何か困ったときに、思考が助けてくれるとは思わないことです。
もちろん、助けてくれることもあると思いますが、逆に思考によって苦しめられるぐらいならば、思考に振り回されないように、思考をコントロールしていく必要があります。
その思考のコントロール法こそ、悟りなのです。