現代にはエックハルト・トールという有名な悟りの先生がいらっしゃいます。

当ブログでは下記の記事で取り上げました。

エックハルト・トールおすすめの瞑想法…雑念で瞑想がうまくできない方へ

 

もう1人、有名な悟りの先生がいらっしゃいます。

ガンガジというおばさんです。

 

 

この「ポケットの中のダイヤモンド」という著書は結構、有名なようです。面白いですよ^^

 

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ガンガジ先生のいう「満たされる」とは?

この悟りの先生であるガンガジさんの動画で結構、なるほどなーと思った動画がありましたので、ここで紹介させてください。

 

この動画で最も私が胸を打たれたのは、動画開始30秒ほどのところで、

これはただ単に講演会に参加して、信じる信じない、意見が合う合わないという類のものではありません。

というところです。

この理由については後述します。

 

そしてガンガジは続けます。

「悟り」という言葉はすでに形骸化しているとし、同様に

  • 「気づき」
  • 「自己啓発」
  • 「幸福」

などの言葉も《飽きあきてしまった》とのことです。

「悟り」という言葉は特別な期待をもたせすぎますよね。

なんというか、道が開けるイメージというか、心が解放されるイメージというか。

「目覚める」というような多大な期待をもたせすぎてしまいます。

おおごとすぎるわけです。

ですので、そのかわりにガンガジが使用しているのは、「満たされる」という言葉です。

 

「悟り」はもう古い?

この「満たされる」という言葉が、悟りと同じような意味をもたらしているとガンガジさんは言います。

 

我々はどうしても、悟り、というと、仙人にでもなったような、達観したような、達人のようなイメージを持ってしまいがちです。

しかし、ガンガジさんは悟りに対してそのような超次元的なパワーや期待を持ってはいけないと言っているわけです。

 

悟りということは、そんな大したものではなく、ただ「満たされる」ということです。

満たされる、ということが、悟りだということです。

 

私は全然、満たされていないんだけど?

しかし、そう言われると次に

  • 「私は全然満たされていない」
  • 「私は枯れている」

といった不満が湧いてくると思います。

  • 人生は全然、うまくいっていない
  • もうどうにもならないのに、満たされるわけがない

そう思われているかもしれません。

 

しかし「満たされている」ということはそういったこととは無関係です。

「はあ? そんなわけないだろ」と思われるかもしれませんが、ここで冒頭の言葉に戻ります。

これはただ単に講演会に参加して、信じる信じない、意見が合う合わないという類のものではありません。

これはどういうことかというと、この上記の「信じる信じない」「意見が合う合わない」は、いずれも「自分個人のものさし」ですよね。

「満たされる」というのは、自分個人を超えたところにあります。

悟り=満たされる

つまり、満たされる、という大きな全体の中に、個人の主張ややりとり、意見などがあるということです。

そのことを、ガンガジさんは「信じる信じない」「意見が合う合わない」ではないと言っているわけですね。

「満たされる」というのは、そういった「信じる信じない」などの上位概念だということです。

 

個人の主張を超えた上位概念が「悟り」であり「満たされる」

「信じる信じない」を個人レベルで考えますと、白熱した議論ですが、神様の視点に立つと、「信じる信じない」がどちらであっても、結論は「満たされている」ということになるのです。

「信じる信じない」「意見が合う合わない」は、「満たされている」ことの前では、どちらでも良いことにすぎないわけです。

 

ですから、我々の悩みや、困ったこともすべて「満たされていること」の下にあります。

私たちは、困ったことや、悩むこともあります。

そういったことがゼロになるわけではありません。

生きている以上、何かが起こります。

しかし、それとは関係なく「満たされている」ことが常に我々の心にあるのです。

すでに、いつも、つねに、私たちの心の中に「満たされている」が備わっているのです。

 

それが「悟り」です。

 

ですから、悟りの先生方がみなさん、

  • 「悟りは簡単です」
  • 「悟りはすでに存在しています」
  • 「いま、あなたは悟りの中にいます」

などと言っていて「そんなものねーよ」「ウソっぱち言いやがって」「全然、悟れてねーよ」と思っておられるかもしれませんが、それでもやはり皆さん、実は、悟りの中にいるんです。

戦争やら病気やら、貧乏やら、モテないやら、いろいろな悩みはあると思います。

しかし、悟り、はそれとは関係なく、つねにあなたには存在しています。

 

いま、ここで、この瞬間に、幸せ・不幸にかかわらず、悟っているというのは、そういうことなのです。

 

「満たされる」感覚を大事にして生きることが「悟り」

「いや、それはわかったけど、いくら悟っても全然、幸せじゃないんですけど?」と思われるかもしれません。

 

もちろん、最初はそういう感覚が強いかもしれませんが、個人レベルの視点を変えて、「満たされている」感覚の方に心を置く時間を長くしてみてください。

毎日、ふと気がついたときに、心を「満たされている」空間にシフトしてみるんです。

個人の主張のレベルではなく、もっと抽象的な(抽象度の高い)感覚の中に、自分を置くわけですね。

難しい言い方をしていますが、ようはもっと、ボーッとしている、という感覚です。

 

そうすると、心の中の安らぎというか、安らかな自分の呼吸音や周りの音がリアルに感じられるようになると思います。

それとともに、心も少しずつ、軽くなっていくのではないでしょうか。

 

ガンガジさんはよく、悟るためには、

  • 「何もしないこと」
  • 「『何かする』ことをやめること」

というお話をされます。

これって結局は上記のことと同じことであり、つながっている考えだと思います。

 

まとめ

依然として、個人レベルでは悩み、問題、苦しみは存在していると思います。

しかし、それと同時に「満たされている」のオーラも浴びることができます。

現況がたとえ苦しくても、この「満たされている」感覚を大事にして生きることが、生きる助けにはなるのではないかなと思います。


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