自我(エゴ)による思考や雑念を消すための2つの方法

妄想に苦しめられる

妄想に苦しめられる

自分自身、考えたいわけではないのに、たとえば次のようなことが頭に浮かんでくることってありませんか。

  • 自分は必要の無い人間なのではないか
  • 彼女に捨てられるんじゃないか
  • 借金が膨らんで、自殺するしかないかもしれない
  • 生きていても意味が無い

自分というものに付随する「思考」が、強制的にあなたにこのようなことを考えさせます。

思考はいつもいつも、私たちを苦しめてきます。このような言葉を使って、自信を失わせようとくるのです。

 

これらの妄想、雑念を振り払うことこそが“悟り”です。

しかし、どうしてもこういった悪魔のささやきが消えず、苦しんでしまうことがあるのではないでしょうか。

今回はそういったときの対処法について書いていきたいと思います。

 

「雑念を叩き潰せ!」とスマナサーラ長老はおっしゃいますが

悟りを開くために重要なのは、思考を止める、ということです。

それはこちらで書かせていただきました。

悟りとは何か? 悟りとは科学的なものだった

 

簡単に申し上げますと、思考という左脳の働きを停止することで右脳が活性化し、過去や未来の呪縛から解き放たれた「いま」に意識を集中することができるのです。

そしてこれより、思考の重みから解放され、素晴らしい幸福感を得ることができるのです。

 

「ほうほう、ナルホド、では早速、思考を止めてみましょう」

と、スムーズにいけば良いのですが(笑)

 

この思考を止めるという作業のみで良いと言われても、この思考を止めることこそが難攻不落の絶壁なわけです。

 

とはいえ、私がお勧めしている

この二つを併用して瞑想に取り組めば、この思考という敵をかなり鎮めることができます。上記リンク先もぜひ、ご参照下さい。

 

確かに、思考を「敵」として捉えてしまうと、なんだかぶっそうに感じるかもしれませんが、スリランカの僧侶で「怒らないこと」の著書でしられるアルボムッレ・スマナサーラ長老も結構、物騒な発言をされています。下記の動画で、です。

「妄想を叩き潰す」「雑念を叩き潰す」などとおっしゃっています(笑)

(▼こちらの動画の26分ぐらいです)

悟りに至るには「丁寧な言葉遣いをしなければいけない」とか、そういう考えを持っていた私ですが、これが思い込みだと気づかされました。

(叩き潰す! をきいたときに思わず噴きました)

 

悟りに至らせないために、思考は色々な罠を仕掛けて、阻害してくるものですね。

  • 丁寧な言葉遣いをしなければ。
  • 怒ったりしてはダメだ。
  • いつでも冷静に対処しなければ。
  • 人を責めたりしないようにしよう。

こんな風な思い込みに、がんじがらめになっていませんか?

あなたももし「悟るためにはこうしなければ」というたくさんの思い込みをもたれているのであれば、その一つ一つに気づいていきましょう。

気づいていくだけで、その思い込みが少しずつ解消されるそうです。

 

さて、話がそれてしまいましたが、私の主張だけでなく、先のスマナサーラ長老や、小池龍之介さん、現代の悟りの先生であるエックハルト・トールさんもおっしゃるように、悟りとは思考を止めることです。

エックハルト・トール

(いつも変なチョッキをきているエックハルト・トールさん)

 

思考を止める。

悟るにはただ、これだけだそうです。

 

しかし、このたった一つのことである「思考を止める」ことが、とても難しくてできないわけですよね。

どうしてもネガティブな気持ちに苛まれてしまう。生きる力が失われてしまう。

 

こんなとき、この止まらない声をどのように止めていくのか、それについて書いていきたいと思います。

 

それにはこの次の動画がお勧めです。

この動画で、小池龍之介さんが思考への対処法を述べられています。ちなみに、最初のスマナサーラさんの動画と、この小池さんの思考への対処法は全く同じです。

 

自分の意志に関係なく、無理やり“思考させられている”ことに気づく

思考への対処法に入る前に、注意したいことが1点あります。

それは、ネガティブな思考というものは、いまあなたがそのことでネガティブになることによって、何一つ得をしないにも関わらず、思考によって無理やり考えさせられているということです。

 

自分が考えたいと思っていなくても、無理やり考えさせられているから、そのようなネガティブな思考に囚われているということです。

この時点で分かるように、思考は私たちの味方ではありません。

思考は、思考そのものが存在し続けるがためにこのように私という体を謀略して乗っ取っています。

 

ですから、思考にとってはあなたが困ろうが苦しもうが関係ありません。

思考は、私たちのことなど、どうでも良いのです。

 

“思考”さえやめれば、苦しまない

そして、大事なことは、思考による苦しみは、この思考自体が無くなれば、収まるわけです。

つまり、実際の出来事がどうであれ、そのネガティブな思考をしなければ、このネガティブな感情は無いわけです。

 

「いやいや、そんなことは分かっています。それでもこのネガティブな思考を止められないから悩んでいるんです。どうにかして下さい」という声が聞こえてきそうですね(笑)

 

しかし、小池龍之介さんによりますと、分かりきってはいるとしても、改めて、我々が「考えている」から苦しいのだと気づくことはとても重要なようです。

なぜかと言いますと、結局、苦しいのは自分のせいでもなく、誰かのせいでもなく、何が悪いとかではなく、思考がそう仕向けるから苦しいのです。

 

苦しんでいることで、得をすることはないのです。

にもかかわらず、無理に思考をさせられているのです。

 

ですから、この無意味な思考を「自分のせい」とか「何かが悪いから」、などという予備情報を付け足さずにただ、止めてしまうことが良いのです。

この思考さえ無ければ、あなたがネガティブな感情に苦しむことはありません。

我々はこの何一つ得をしない思考を

  • 考えたくもないのに考えさせられている
  • 全くの無駄な行為なので、止めてしまえば楽になる

というものだと肝に命じるべきです。

 

このくそファッキンくだらない、邪魔者である思考というものを叩き潰せ!!

スマナサーラ長老の言葉遣いが荒くなるのも無理はないわけです。

思考を叩き潰せ

思考が蔓延するのは「自分のせいではない」と分かると、少し心が楽になりませんか?

 

「考えている」と心の中で唱えるだけ

では、その上で、小池龍之介さんのお勧めの、思考への対処法を書いていきましょう。

 

それは「考えている」と心の中で3回唱えることだそうです。

考えている、と唱えることで、自分が考えてしまっていることを自覚する。

そして、考えているから苦しみがあるのだと自覚をすることで、そのネガティブな思考から解き放たれるようになります。

 

先ほども申しましたように、苦しみというものは、避けようのない天からの声、というわけではないのです。

どうしても我々は「その苦しみには逆らえない」と思ってしまいがちですが、そういったものではなく、ただ単に「思考が引き起こしていることに過ぎない」と意識することで、「あっそっか、自分は考えているだけなんだ」と、気づき、考えが静まっていきます。

「考えている」と唱えることで、その「考えている」という事実が客観化されて、クールダウンしていくという仕組みだそうです。

 

ですから

  • 「ああ、俺はなんてバカなんだ」
  • 「自分なんて世の中に必要の無い人間だ」
  • 「明日の仕事、嫌だなあ」
  • 「全然モテない」
  • 「今月もお金がないや」

こういった思考が生じたとき、すぐに「考えている、考えている、考えている」と心の中で唱えるのです。

そしてそういった思考を打ち消してください。

 

この「考えている」という言葉は「思考、思考、思考」でも「雑念、雑念、雑念」でも「妄想、妄想、妄想」でも何でも良いです。

思いついた言葉でつぶやきましょう。

もし3回唱えても収まらないときは、繰り返し唱え続けて下さい。

 

このようにして少しずつ、思考に対処していきましょう。

 

どうしても思考が止まらないとき

しかし、私も経験が有るのですが、どうしても思考が止まないこともあります。

例えば、片思いしている子に、デートのお誘いのメールを送って、その返事を待っている時などですよね。

どんな返事が来るのか、気が気ではない(笑)

メールを着信していないにも関わらず、着信音の空耳がしたり、携帯電話が震えたような気がしている。

携帯電話が気になって思考が騒ぐ

返事がなかなか来ないのは、電波が悪いせいではないかとウロウロと歩いてみる。

気にしないつもりでいるのに、5分ごとに携帯電話をチェックする。

返事が怖くなって、逆に携帯電話の電源を切ってみる。

そういう経験はないでしょうか(笑)

 

こんなときはどうすればよいのでしょうか?

 

正直言いまして、どうにもならないときは、諦めるしかありません。

諦めて、その心の揺れと向き合いましょう。

 

ひたすらその思考のノイズを観察することに集中して下さい。

ときには思考に飲み込まれたり、思考による心の痛みを強く感じるかもしれません。

脳内がまるで、嵐のときのように波うち、雷は鳴り続け、心という船は難破寸前になるかもしれません。

心の嵐と向き合う

しかし、じっと瞑想をし、耐えるのです。

瞑想をする集中力がなければ、ただ座ったり寝転がったりしながら、その苦しみを観察してください。

痛みを積極的に感じ続けるのです。

 

それで完全に収まるかどうかは分かりませんが、私の経験上、かなり落ち着くことができます。

また、落ち着くことができないまでも、ある程度、自分を客観的に見つめることができるようになります。

 

その思考はあくまでも、あなたのものではなく、思考そのものが、自らを主張するために表れてきているだけだと意識してください。

「この苦しみは、私とは関係がない」

そう感じるのです。

そして、自分自身は深く深呼吸し、心を体の神経に集中させ続けるようにしましょう。

 

まとめ

やがて心の平穏が見えてくる

人間というものは、とても思考の攻撃には弱いです。

絶対に立ち向かえるとは限りませんが、これも訓練次第です。

毎日、少しずつ、思考を対処する訓練を続けましょう。

 

そうすればやがて、心の平穏が見えてくるはずです。

ともに頑張りましょう!

 

▼思考を止めるための瞑想についてはこちらをご参照下さい。

小池龍之介さんが一番お勧めされているのは呼吸瞑想