雑念で瞑想がうまくできない

瞑想というと、どうしても難しく考えてしまいますよね。

でも、ブッダに言わせれば「考える」から難しくなるんだから、「考えることをやめる」ことだね、という感じでしょうね^^;

 

頭ではわかっているのですが、なかなか実践が難しいです。

ですので今回、現代の悟りの名人であるエックハルト・トールさんの動画で瞑想を勉強していきたいと思います。

 

 

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エックハルト・トール氏、絶好調のもよう

スピリチュアルの先生は、みんな怪しいんですけれど、エックハルト・トールさんの動画は、とても参考になります。

 

この動画は、エックハルト・トールさんの絶好調な感じの動画ですね。

お客さんにウケまくっています。

なかなかノリのよいお客さんが多いみたいで、心なしかトールさんも楽しそうですね。

とまあ、前置きはこの辺にして、動画の内容に入っていきましょう。

 

うまく瞑想をしたければ「瞑想をする」と考えないだって!?

はじめにトールさんはこんなことをおっしゃっています。

うまく瞑想するためには「瞑想をする」という考えがかなり邪魔なものになります。

いきなりこのセリフでウケています。

うまく瞑想をするには「瞑想をする」と考えない方がよい、というのは一見、矛盾を抱えた言い方ですから、ウケちゃうのも無理はないことですね。

 

しかし、これは一体どういうことでしょうか?

トール氏は続けます。

「瞑想」という言葉についている先入観、期待をなくしていきましょう

瞑想というのは、決して「新しい自分に目覚める」とか「宇宙エネルギーを蓄えて、健康になる」とか、そういったものではありません。

そういった考えをもってしまうのは、自我(エゴ)の仕業であり、このエゴがこういったチャチャを入れてくるので、瞑想が失敗し、悟りに至れなくなるのです。

 

瞑想というのは、このエゴのチャチャ入れを封殺するためのものですから、いかにもスピリチュアルウケしそうな、魔法的な力やチャクラがどうとか、そういったことは考えるべきではありません。

そういったことはすべて雑念です。

 

瞑想の本質は、無になることです。

無になることができれば、悟りを得ることができます。

 

ですから、いかにして恣意的に無になるか、ということを考えたものが瞑想ですので、ここはもう「瞑想」などと言わずに「無になること」という風に瞑想を言い換えた方が、自然かもしれません。

詳しくは、下記の記事をご参照ください。

歩きながらでも瞑想はできる? 「止観瞑想」のやり方

 

瞑想は、無になるためのもので、宇宙パワーが得られたりするものではない

そして続けてトール氏は

一般的に「瞑想」は「するもの」だと思われています。色々ある活動のひとつです。

(中略)

「するもの」とは関係ありません。「するもの」ではありません。

「瞑想」とは「気づき」です。

「気づき」=「あなたという存在の本質」です。

(中略)

すべての行動に先立ってあるものです。思考や感情以前にあるものです。

これはつまり、私がご説明させていただいた、瞑想が「宇宙パワー」のようなものを奮い立たせるものではないという話ですね。

 

瞑想が「何か」をもたらすわけではありません。むしろそういった「何かしらのモノ」に先立っているものだということです。

何かが起こる、何かが湧き立つ、そういった「何か」の前の段階にいること。

これが瞑想の本質です。

 

ポイント:瞑想は「すべてをやめる」もの

瞑想はすべてを投げ出すもの

トール氏は「『するもの』とは関係ありません」という説明のとき「Do」ではない、という説明の仕方をしています。

これはとてもわかりやすいですね。

「Do」であることすべてを、やめること。これが瞑想です。

意味のあることは何もしないのです。

瞑想で何かを得られるわけではなく、むしろ何もかもを捨てるために、瞑想をするのです。

 

ポイント:達観するために瞑想をするわけではない、達観もエゴの妄想

ですからトール氏はいいます。

「本当のあなたに気づく」ということではありません

 

また、宇宙全体の中であなたがという小さな存在がどのような位置付けにあるかに気づくことでもありません

そう、こういった漫画に登場しそうな「劇的な変化」「劇的な何か」は、すべてエゴによる妄想です。

  • 「いま、すべてがわかった!」
  • 「私は悟りを得たのだ!」
  • 「そうか、そうだったのか!」

こういった達観するような感覚はすべて妄想です。

こういった妄想を叩き潰して、妄想が起こる前の段階に脳を維持させること、これが無の境地であり、瞑想の極意であり、悟りです。

 

ポイント:瞑想をしても、何か新しい発見があるわけではない

頭でなにひとつ理解する必要もなく完全性とひとつになるということです

完全性とひとつになる、という言い方がまた劇的な言い方なので勘違いしてしまいがちですが、ようは

  • 理解したい
  • わかりたい
  • 考えを明らかにしたい

こういった「合点を得たい」という気持ちがあり、そして合点を得たときに、悟りが開けるのだと思ってしまいがちですが、そんな劇的なことは何一つ起こりません。

そういった思考が起こる以前の段階のまま、毎日を過ごすこと。

それが悟りです。

 

瞑想に関するエックハルト・トール氏の実践的なアドバイス

瞑想の練習

トール氏は瞑想をするにあたり、興味深いアドバイスをしてくれています。それは、

一瞬でもいいから「過去と未来はない」ふりをしてみることです

とのこと。

 

このことを理解するためには、ぜひ下記の記事をご覧になってみてください。

悟りとは何か? 悟りとは科学的なものだった

この記事には、なぜ過去と未来のことを考えない方がよいのか、について書いています。

この記事を読んでいただければ、トール氏の説明が、実に科学的だということがわかります。

 

読むのが面倒臭いという方に簡単に説明しますと、エゴは未来のために、今があると考えるのです。

今がいくら辛くても、未来のために頑張るのだと。

しかし、いつまでたっても、その「幸せな今」はやってこないのです。

仮に幸せがやってきたとしてもエゴは「その幸せがいつまで続くと思っているんだ? さあ、未来のためにもうひと頑張りすることだ」と、いつまでも永遠にけしかけてくるのです。

 

そして、過去を振り返り「あんなこともあった」「こんなこともあった」と後悔させて、それをまた未来への原動力に駆り立ててきます。

こんなことをしていたら、永久に幸せにはなれません。

 

ですからトール氏や悟りの先生のみなさんは、そんな過去や未来のことを考えるのをやめよう、とおっしゃるのです。

なぜなら、過去はもう二度とやってこないし、未来もまだやってきていなのです。

どちらも妄想の世界であり、存在するのは「今」だけだからです。

「今」に集中することこそ、瞑想の極意であり、悟りです。

 

自我が騒ぎ立たないように、過去と未来がない「ふり」をする

そしてまたここでトールさんは面白いことをおっしゃっています。

「ふりをしてみてください」と言ったのでみなさん、ついてこれていると思います。もし私が「過去も未来もない」と言っていたとしたら、みなさんの中には、いきなり「なんだって!?」「これが終わったらサイン会をするんですよね?」と思考が回りだす人もいたでしょう

これも実に示唆に富んだジョークですね。

実際には、過去も未来も「今ここ」にはないわけですから、存在していないのですが、過去と未来を頼りにして生きている自我=思考は、「過去も未来もない」と言ってしまうと、とたんにざわつきだすわけです。

 

過去も未来もないだって!? じゃあなにを指針にして生きたらいいんだ!? と。

 

ですから「ふりをしてみる」ことが効果的だとトール氏は言うんですね。「ふり」であれば、エゴもそこまでざわつきませんから。

エゴは思っているわけです「『ふり』であるならいいや」と。

 

頭で考え始めた途端、マインドの世界にそれていってしまうのです

これはつまり、現実という世界から逃げて、妄想の世界にふけってしまう、ということですね。

思考は現れると、あなたの注目を引っぱり込み、それであなたは考え始めるわけです

考え始めると、思考にあなた自身が乗っ取られ、すべて自我のいうまま、思うままにあなたがコントロールされてしまうのです。

 

瞑想というのは、思考をもたらす自我に自分を乗っ取られないよう、自身をありのままに保つための訓練なんですね。

無になることで、物事の本質が見えてくるわけです。

 

この動画の最後で、トール氏はこう締めくくっています。

「今ここ」だけがあります

と。

 


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