悟るためには、修行や引き寄せの法則など、スピリチュアル的対処法が本当に必要なのか?

悟るために必要なもの

「悟り」というと、どうしても宗教的な概念とか、スピリチュアルな概念に取り込まれてしまいますよね。

  • 「心の中に愛を感じてください」
  • 「あなたそのものが『愛』なんです」
  • 「ありのままの自分を好きになってください」
  • 「『認識を変化』させましょう」
  • 「悟りはすでに自分の中にあります」
  • 「自分のインナーチャイルドに話しかけてみてください」

とかですよね。

 

しかし、こういったものをみると私がよく思うのは「インナーチャイルドって一体なんだよ?」ということです。

 

そのほかにも、

「心の中の愛を感じるってなんだ?」

「ありのままの自分ってなんだ?」

「『あなたはすでに悟っているのです』とか言う先生もいるけど、それってどういうことなんだ?」

スピリチュアルの先生方が話す内容はあまりにも抽象的すぎて、そして観念的すぎるために、ほとんど禅問答のような様相をなしてしまいます。

 

スピリチュアルに関する掲示板とかをみても、もはやどれだけ弁達に優れているかを競っているだけのような感じになっています^^;

うまいことを言ったり、たくさんの人の心にいかに共感を得られるようにするかばかりが先行して、本当に悟りを得るための技術についてはないがしろにされているのではないか、と感じるのです。

 

内面と向き合う必要なんてない

それこそよく、スピリチュアル系の話をきいていますと、

  • 心の中のトラウマが悟りを阻害している
  • 自分の心に蓋をしている
  • 自分の心の痛みと向き合っていない

といった言説がみられます。

 

確かに、自分の心の中の、自分でも気づいていなかった点に気づきを得ることで心の中の盲点(ストコーマ)が外れて、

  • 「ああ、俺はこんなことで悩んでいたのか」
  • 「ああ、私の中には、こんな一面もあったんだな」

というような、小さな「悟り」体験をすることができます。

この気づきの体験は確かに、悟りに近づいていると思います。

 

しかし、こんな面倒なことはしなくても良いと私は思うのです。

いわゆる一般的なスピリチュアル的アプローチである、自分を癒し、自分を愛することで悟りを得る、ということは、間違いではないのですが「それをしなければ悟りを得られない」というものでもありません。

 

つまり、自分を愛したり、神様に祈ったり、インナーチャイルドに許しを得たり、般若心経を唱えたり、感謝をしまくったり、「ありがとう」と1000回唱えたり、トイレ掃除をしたりしなくても、悟ることができます。

 

悟る方法は下記でも説明させていただきましたが、

悟りとは何か? 悟りとは科学的なものだった

ようは思考することをやめれば悟りは開けます。

 

思考がすべての苦悩、煩悩の生みの親です。

この苦悩と煩悩を初めから湧き上がらせなければ、あるいは湧き上がったとしても、それを黙殺してしまえば、悩みや苦しみは発生しません。

 

それこそが悟りの真実です。

これさえ実施できれば、悟ることができます。

 

別に、宇宙の神秘の力を借りたり、悟りのための修行をしたり、あなたの心の内面を見つめなおしてみたり、スピリチュアルにおけるさまざまなトレーニングやセルフクリーニング的なメソッドをしなくても良いのです。

 

すべては幻。

苦悩というのは、思考という幻が見せていた夢にすぎないと気づくことができれば、もうそこは悟りの世界です。

 

難しい顔をして考え込んだり、悟りすました仙人のように振舞ったりしなくても、ただ思考さえ止めることができれば、そこに悟りが存在します。

 

悟りというものが素晴らしい何かだと思わなくてもいいのです。

悟りというのはただ、ある種、単なる脳機能のトレーニングでしかありません。

スピリチュアルなどで神格化された幻想の「悟り」を追いかけるのはやめて、いますぐにも実現可能な、現実的な悟りをいまから目指しませんか。

 

現実的な悟りを体現させてくれる動画

今回、ご紹介したいこの動画は、まさに私が感じている「ただの悟り」を説明してくれるベストな動画でした。

非常に興味深い内容でしたので、ここで紹介させていただきます。

下記からは、内容を整理したコメントをさせていただきますので、よければそちらも合わせて見ながらぜひ、動画をご覧になってみてください。

 

「すべてのものを得た」にも苦しいのはなぜか

ジェフ・リーバーマンさんという方の動画です。

グーグル検索をしますと、同名の脚本家の方が出てきますが、この方は違う方のようです。一方、youtube上でこの名前を検索しますと、たくさんの動画が出てきます。ただ、どれも英語なので理解できません(笑)

したがって、このリーバーマン氏がどういった人物なのかはわかりかねるのですが、あまり気にせずみていくことにしましょう(笑)

 

動画の序盤では、リーバーマンさんが「必要なものすべてを得た」にもかかわらず、苦しみにさいなまれる自分を感じるということが説明されています。

そうなんですよね。

たとえお金をたくさん得ても、それを失う恐怖にさいなまれる。

絶世の美女やイケメンと結婚できても、そこからまた、喧嘩をしたり、うまくいかなくなったり、もめたりします。

たとえ、仲良く暮らしたとしても、最後には死という別れを迎えます。

 

このように、どのように生きても、人生には必ず苦しみがやってきます。

これに気づいたのがブッダです。

ブッダは生きることが「苦」であると断言しました。

 

人は必ず死にます。

死という苦しみには、たとえどんな超人でさえ乗り越えることができません。

たとえ、不老長寿の薬を飲んで、永遠の命を得たとしても、次は生きる苦しみにさいなまれるでしょう。

永遠に生き続けるというのも、苦しいものですから。

 

リーバーマンさんもおそらく、こういったことを考えられたのでしょう。

そして、どこまで行っても、人の人生は「苦」で彩られており、そこから抜け出すことができない、と気づかれたのだと思います。

 

しかしこのリーバーマンさんは、スピリチュアルな手段や宗教的アプローチ、哲学ではなく、その苦しみの根幹を、科学から解明しようとします。

 

人の体は原子やエネルギーの塊でしかない

人間は分子やエネルギーにすぎない

動画の1分20秒ごろからは、人間がただの原子の塊にしかすぎず、さらにいえば、宇宙のあらゆるものはすべてエネルギーにすぎないと説明しています。

 

人の命には限りがありますが、この人の体をエネルギーとしてみれば、そこには宇宙と同じ年齢のエネルギーが飛び交っているだけです。

 

人というのは、厳密には人間ではなく、ただのエネルギーなのです。

 

「思考」していることは「現実」には起こっていないこと

つづいて2分40秒頃からは「思考」についての話題に入っていきます。

思考は「現実」のほかに、もう一つの「架空の世界」を作り出します。

未来や過去といった「想像の世界」です。

 

この想像力が人間を、あらゆる動物の頂点に立つ最強の生き物へと進化させてきました。

 

この意味で「思考」というものは素晴らしいものです。

しかし一方で、思考は、たとえ「考えたくない」とさえ思っているにもかかわらず、半ば強制的に「思考」をさせてきます。

  • 辛い思い出
  • 未来への不安
  • ただ漠然とした悩み
  • 嫉妬

考えたくもないのに、無理に考えさせられます。

そして重要なのは、考えたところで、解決しないということです。

 

しかし、それにもかかわらず、

  • 大丈夫かな
  • 寂しいな
  • 辛いな
  • 彼女欲しいな
  • もっとお金があったらな

と、こんな無益な思考にどんどんさいなまれてしまい、そしてどんどん気持ちが落ち込んでいきます。

 

しかしこのリーバーマンさんは、そういった「思考に取り込まれる自分」を客観的に、そして科学的に観察することで、打開しようと試みます。

たとえば

  • 色は視覚的な効果にすぎないということ
  • 目に映る映像も、映画も、脳の中で構築されているだけのこと
  • 知覚も、思考がただ音として流れているだけのこと

といったことを認識していくことが大事だというのです。

 

リーバーマンさん自身の悟りの体験

リーバーマンさんは、ご自身の悟り体験について、次のように説明しています。

思考や知覚したものへの注意を向けることを止めると、自分の意識の中にある、これらのものに気付いている自分に気付くようになります。

最後には、すべての思考、知覚、体、感覚に注意を向けることを止めると、知覚するものが何もなくなります。

これが自分であると考えていたものが何も残らなくなります。

ただし、私が存在するという感覚だけが残ります。

私は存在する(I Am)が残ります。

(中略)

この状態にあるとき、自分とは知覚を越えたものであるということに気づきました。

(中略)

私は存在する(I Am)は、完全に空の体験です。それは内実を欠いています。

私がそれを直接経験したとき、ものごとが生み出される源がありました。

たぶん、私は意識を持つ人間なのではなく、人間の形をした意識なのです。

 

このリーバーマンさんの説明は、まさに悟りですよね。

彼は、いわゆる愛がどうとか、スピリチュアルパワーがどうとか、そういった観点からではなく、冷静に自分の感覚と向き合った結果、このような悟りの感覚を持たれたのだと思います。

素晴らしいですね。

 

そして悟りを開かれたあとの感覚については次のように語られています。

 

もし自分がエネルギーであることに気づき、体と心はエネルギーの一次的な現れにすぎないと気付けば、体と心が死ぬことはないと分かります。

なぜなら、これまで、そして、これからも自分はエネルギーなのですから。

もしそれを直接体験したなら、満たされるためには何かをしなければならないという頭の中の声は力を失います。

まさにそのとき、もうその声を聞く必要はなくなります。人生はゲームであり、楽しみであり、遊びになるのです。

 

実に良い説明ですね。

過去や未来に一喜一憂したり、悩んだりしなくて良い。

人に認められるために何かをしたり、自分らしさを出そうとしたり、生きる意味を見出そうとしたり、苦労を買ってでもしたり、死ぬ気の努力をしたりしなくても良いのです。

ただ、エネルギーとしての自分の体を、有意義に使いましょうというプランなのです!

 

そしてさらにその体験をするためのコツとして

砂浜で砂のお城を作っていたとき、そのことに夢中で世界は消え去っていました。

そのとき、どこか到達すべき場所はなくなりました。

未来を計画することもなく、今だけがすべてだったのです。

と説明をされています。

こういった説明はスピリチュアルの先生方とあまり変わりませんが、論理的に説明されたあとだと、分かりやすいですよね。

 

ああしなきゃ、こうしなきゃ、こうじゃなきゃ、ああじゃなきゃ、という考えから離れて、いまこのひと時を楽しく生きる。

ここに悟りのヒントがあります。

 

わき上がる思考への対処法

ただ、「このひと時を楽しく生きる」というこというと、「このひと時を楽しく生きなければならない」と考えてしまう方も、いらっしゃいます。

そんな場合の対処法も、実は簡単です。

 

「あ、いま『しなければならない』と考えているな」と気づくことです。

人は、無意識的に思考の波に飲み込まれてしまいます。

 

ですので、いま自分が思考してしまっているかどうかに「気づく」ということがとても大事です。

 

ついついネガティブな悩みや、苦しみに取り込まれてしまいがちな人は、「いま自分が『思考』してしまっていないか」つね日ごろから脳内をチェックすることをお勧めします。

 

思考してしまっている自分に気づいたら、その思考からはリリースされますよね。

 

一般的に、悟りの先生なんかにいわせれば、思考に気づいた後、「感謝しています」とか「ありがとうございます」とか唱えましょうとか、アファメーションを唱えましょうとか、ポジティブな思考を上書きしましょうとか、自分を愛しましょうとか、いろいろな対処法があるようです。

 

しかし、私が思うには、こういったアファメーション等は不要です。

苦しい「思考」に取り込まれたときは、その「思考」に気づくことが大事であり、それ以上のことは必要ありません。

 

よく「その思考から脱しましょう」という先生もいますが、脱しなくていいです。

苦しんでいる思考があることに、気づくだけでいいんです。

なぜなら、その思考はあなたではないから。

 

思考は、あなたの脳が勝手に作り出しているだけで、あなた自身とは無関係です。

 

思考とはいったい何か?

そう断言しますと、「いやいや、思考はあなた自身です。あなたのことをよくわかっています」とおっしゃる方もいます。

 

しかし、よく考えてみて下さい。

たとえば体がガンなどの病気になっても、思考はそれがどういう状態なのか、全く理解しませんよね。

風邪で熱が出たとき、体内から白血球を出して、菌を退治する指令を、思考が出しているでしょうか?

必要なことは、体が勝手にやってくれますよね。

暑いときに汗を出したり、眠いときにあくびをしたり、食べ物を消化したり、けがを治癒したり。

すべてのことは、思考以外がやってくれています。

 

思考にできることなんて、ほとんど何もないのです。

 

ですから、何か困ったときに、思考が助けてくれるとは思わないことです。

もちろん、助けてくれることもあると思いますが、逆に思考によって苦しめられるぐらいならば、思考に振り回されないように、思考をコントロールしていく必要があります。

 

その思考のコントロール法こそ、悟りなのです。

ガンガジが言う「何もしない」「止める」「満たされる」の感覚について

現代にはエックハルト・トールという有名な悟りの先生がいらっしゃいます。

当ブログでは下記の記事で取り上げました。

エックハルト・トールおすすめの瞑想法…雑念で瞑想がうまくできない方へ

 

もう1人、有名な悟りの先生がいらっしゃいます。

ガンガジというおばさんです。

 

 

この「ポケットの中のダイヤモンド」という著書は結構、有名なようです。面白いですよ^^

 

ガンガジ先生のいう「満たされる」とは?

この悟りの先生であるガンガジさんの動画で結構、なるほどなーと思った動画がありましたので、ここで紹介させてください。

 

この動画で最も私が胸を打たれたのは、動画開始30秒ほどのところで、

これはただ単に講演会に参加して、信じる信じない、意見が合う合わないという類のものではありません。

というところです。

この理由については後述します。

 

そしてガンガジは続けます。

「悟り」という言葉はすでに形骸化しているとし、同様に

  • 「気づき」
  • 「自己啓発」
  • 「幸福」

などの言葉も《飽きあきてしまった》とのことです。

「悟り」という言葉は特別な期待をもたせすぎますよね。

なんというか、道が開けるイメージというか、心が解放されるイメージというか。

「目覚める」というような多大な期待をもたせすぎてしまいます。

おおごとすぎるわけです。

ですので、そのかわりにガンガジが使用しているのは、「満たされる」という言葉です。

 

「悟り」はもう古い?

この「満たされる」という言葉が、悟りと同じような意味をもたらしているとガンガジさんは言います。

 

我々はどうしても、悟り、というと、仙人にでもなったような、達観したような、達人のようなイメージを持ってしまいがちです。

しかし、ガンガジさんは悟りに対してそのような超次元的なパワーや期待を持ってはいけないと言っているわけです。

 

悟りということは、そんな大したものではなく、ただ「満たされる」ということです。

満たされる、ということが、悟りだということです。

 

私は全然、満たされていないんだけど?

しかし、そう言われると次に

  • 「私は全然満たされていない」
  • 「私は枯れている」

といった不満が湧いてくると思います。

  • 人生は全然、うまくいっていない
  • もうどうにもならないのに、満たされるわけがない

そう思われているかもしれません。

 

しかし「満たされている」ということはそういったこととは無関係です。

「はあ? そんなわけないだろ」と思われるかもしれませんが、ここで冒頭の言葉に戻ります。

これはただ単に講演会に参加して、信じる信じない、意見が合う合わないという類のものではありません。

これはどういうことかというと、この上記の「信じる信じない」「意見が合う合わない」は、いずれも「自分個人のものさし」ですよね。

「満たされる」というのは、自分個人を超えたところにあります。

悟り=満たされる

つまり、満たされる、という大きな全体の中に、個人の主張ややりとり、意見などがあるということです。

そのことを、ガンガジさんは「信じる信じない」「意見が合う合わない」ではないと言っているわけですね。

「満たされる」というのは、そういった「信じる信じない」などの上位概念だということです。

 

個人の主張を超えた上位概念が「悟り」であり「満たされる」

「信じる信じない」を個人レベルで考えますと、白熱した議論ですが、神様の視点に立つと、「信じる信じない」がどちらであっても、結論は「満たされている」ということになるのです。

「信じる信じない」「意見が合う合わない」は、「満たされている」ことの前では、どちらでも良いことにすぎないわけです。

 

ですから、我々の悩みや、困ったこともすべて「満たされていること」の下にあります。

私たちは、困ったことや、悩むこともあります。

そういったことがゼロになるわけではありません。

生きている以上、何かが起こります。

しかし、それとは関係なく「満たされている」ことが常に我々の心にあるのです。

すでに、いつも、つねに、私たちの心の中に「満たされている」が備わっているのです。

 

それが「悟り」です。

 

ですから、悟りの先生方がみなさん、

  • 「悟りは簡単です」
  • 「悟りはすでに存在しています」
  • 「いま、あなたは悟りの中にいます」

などと言っていて「そんなものねーよ」「ウソっぱち言いやがって」「全然、悟れてねーよ」と思っておられるかもしれませんが、それでもやはり皆さん、実は、悟りの中にいるんです。

戦争やら病気やら、貧乏やら、モテないやら、いろいろな悩みはあると思います。

しかし、悟り、はそれとは関係なく、つねにあなたには存在しています。

 

いま、ここで、この瞬間に、幸せ・不幸にかかわらず、悟っているというのは、そういうことなのです。

 

「満たされる」感覚を大事にして生きることが「悟り」

「いや、それはわかったけど、いくら悟っても全然、幸せじゃないんですけど?」と思われるかもしれません。

 

もちろん、最初はそういう感覚が強いかもしれませんが、個人レベルの視点を変えて、「満たされている」感覚の方に心を置く時間を長くしてみてください。

毎日、ふと気がついたときに、心を「満たされている」空間にシフトしてみるんです。

個人の主張のレベルではなく、もっと抽象的な(抽象度の高い)感覚の中に、自分を置くわけですね。

難しい言い方をしていますが、ようはもっと、ボーッとしている、という感覚です。

 

そうすると、心の中の安らぎというか、安らかな自分の呼吸音や周りの音がリアルに感じられるようになると思います。

それとともに、心も少しずつ、軽くなっていくのではないでしょうか。

 

ガンガジさんはよく、悟るためには、

  • 「何もしないこと」
  • 「『何かする』ことをやめること」

というお話をされます。

これって結局は上記のことと同じことであり、つながっている考えだと思います。

 

まとめ

依然として、個人レベルでは悩み、問題、苦しみは存在していると思います。

しかし、それと同時に「満たされている」のオーラも浴びることができます。

現況がたとえ苦しくても、この「満たされている」感覚を大事にして生きることが、生きる助けにはなるのではないかなと思います。

八正道の意味を理解し、実践すれば本当に悟りを開くことができるのか? 

八正道について学ぶ

ブッダの教えの根幹には、縁起、と四諦(したい)という2つの考え方があります。

 

縁起は世の中のシステムを説明したもので、その世の中のシステムの中で、いかに生きるか、というマニュアルが四諦です。

 

縁起で成り立っている世の中を乗り切るための実践法が四諦というわけです。

 

ですから、この四諦こそ、ブッダの教えそのもの。

この四諦さえ理解し、実践できれば、あなたも悟れます。

 

したがって、今すぐにでも四諦を理解し、四諦を実践することが大事です。

 

その四諦において、具体的に悟るためのトレーニング法が示されております。

そのトレーニング法こそ「八正道」とブッダが名付けた実践法です。

その八正道について、今回は記述していきたいと思います。

 

それではその前に、まずは縁起を理解したい!という方はこちらをご覧下さい。

縁起、そして無常とは何か? ブッダが考える宇宙の仕組み

 

そして、八正道の前に四諦とは何なの? という方はこの項をご覧下さい。

「四諦」とは何か…仏教とブッダの教えの違いとは?

 

まずは四諦をおさらい

では、八正道の話に入る前に、上のリンクからでもご覧いただけますが、四諦について簡単に説明させていただきます。

 

四諦とは悟りに至るまでの4つのプロセスをさします。

それはすなわち「苦」→「集」→「滅」→「道」の流れです。

  • 苦・・・世の中とは「苦」しみであるということ。
  • 集・・・苦しみを「集」めてくるのは自我の仕業だということ。
  • 滅・・・では、苦しみを集めてくる自我を消「滅」させれば、苦は存在しない。
  • 道・・・滅を実践させるために「道」=修行を行いましょう。

 

これが四諦です。

これが悟りの極意なのです。たったこれだけが極意なのです。

これをするだけで悟れるのです。

 

シンプルすぎて逆に難しいのが悟り

「あまりにもシンプルですね。たったこれだけのプロセスで、本当に悟れるのですか?」

 

はい、悟れます。

「怒らないこと」の著書で知られるスリランカの僧侶、アルボムッレ・スマナサーラ長老に言わせれば、もっと簡単です。

この動画の5分30秒ごろをご覧下さい。

「思考をやめるのは物凄い難しい」

「左脳が、何兆もの細胞が思考させるために構えているのだから大変です」

「しかし、ちゃんと頑張る(思考を止める)とだいたい2週間で成功します」

「思考を止めてみたら悟れます」

「たったそれだけです」

このようにおっしゃっています。

 

まあ、真理がシンプルだからといって、実践まで簡単とはいきません。

思考を止めること。

それが悟りを開くということですが、その道のりはなかなかのものでしょう。

 

ブッダは悟りを開くためのトレーニング法を作ってくれています

八正道は悟りを開くためのトレーニング法

しかし、そこはブッダ。

当時ではかなり長生きであろう80歳まで生きられ、35歳で悟っていますから45年間も悟りを教えてきただけあって、ちゃんと悟りへの実践法を用意してくれています。

 

しかしブッダは実は、悟りを開いた直後に「悟りを伝道するのは無理」と、いきなりさじを投げてしまったことでも有名です。

それを神様にたしなめられて、ようやく重い腰をあげるというなかなか雑なお方という余談があります。

 

さてブッダは、この思考を止める取り組み、つまり四諦でいうところの「道」を実践するために、実はマニュアルを作ってくれています。

それが最初に述べました「八正道」というトレーニング法です。

 

そうこのトレーニング法こそ、ブッダが残してくれた、悟りへの「道」しるべなのです。

では実際に取り組んでみましょう!

 

八正道の意味を理解していきましょう

「八正道」は悟りを開くための基本的な実践を示しています。

ブッダは「悟るためには8つの正しい行動を取りましょう」と主張しており、それが八正道なのです。

 

八正道は次の8つの取り組みで構成されています。平易な表現で書きます。

  1. 正見(しょうけん):正しく見ましょう
  2. 正思惟(しょうしゆい):正しい思いをもちましょう
  3. 正語(しょうご):正しい言葉を使いましょう
  4. 正業(しょうごう):正しい行いをしましょう
  5. 正命(しょうみょう):正しい仕事につきましょう
  6. 正精進(しょうしょうじん):正しく精進しましょう
  7. 正念(しょうねん):正しい気づきを行いましょう
  8. 正定(しょうじょう):正しく意識を定めましょう

 

この8つの中でも最も大事なのがはじめの「正見」にあたります。

正見とは簡単に言いますと、自我から離れた目で、世界を見るということです。

 

つまり、世の中というものが「無常」であり、「縁起」によって成り立っているものだと知り、その世の中を生きていく智慧が「四諦」だということを頭に叩き込んで生きる、ということです。

 

縁起について詳しくはこちら。

縁起、そして無常とは何か? ブッダが考える宇宙の仕組み

 

万物は固定ではなく、つねに変化するもの=無常です。

その無常の世の中に、逆らおうとするときに「苦」が発生するのです。

 

そして四諦の項で申しましたように、苦というものは自我が発生させています。自我が苦を集めて来ない限り、苦は発生しようがありません。

苦を発生させるために、苦を集めてくる自我の動きを見極め、それを滅することが四諦の極意であり、悟りを開くための方法です。

 

この滅を行うために、自我から離れた意識から物事みて、そして自我が少しでもよからぬ働きをしないよう、その動きに対して目を光らせておくこと、これこそが先に述べた正見です。

 

つまり八正道における基本的なスタンスを説明しているのが正見ということです。

八正道における正見の重要性

そしてこの正見をしっかりと行うための取り組みが残りの7つの正道にあたります。

では、それらの7つを見ていきましょう。

 

【正思惟:正しい思いをもちましょう】

正思惟は「無害心」、「無瞋恚」、「無貪欲」の3つからなります。

  • 無害心:敵意を抱かず、慈しみの心を持ちましょう。
  • 無瞋恚:むやみに怒るのはやめましょう。
  • 無貪欲:無限にお金が欲しい、無限に愛人が欲しいというような、際限のない欲望を持つことをやめましょう。

 

【正語:正しい言葉を使いましょう】

嘘をついたり、悪態をつくのは、煩悩の仕業ですのでやめましょう。

 

【正業:正しい行いをしましょう】

むやみに生き物を殺したり、泥棒をしたり、不倫をしてしまうのは、煩悩の仕業ですのでやめましょう。

 

【正命:正しい仕事につきましょう】

人を騙して儲けたり、世間に迷惑をかけてでも儲けたりするのは、煩悩の仕業ですので、やめましょう。

 

【正精進:正しく精進しましょう】

悪いことをしようとしたり、善い行いを怠けようとするのは、煩悩の仕業ですので、やめましょう。

 

【正念:正しい気づきを行いましょう】

【正定:正しく意識を定めましょう】

この2つは、瞑想の実践について語っています。

四諦の項でも書きましたが、ブッダの悟りの方法は、自我(煩悩)の暴走である「集」を行ってしまっていることに気づき、それを「滅」することにあるとしています。

これは四諦を理解し、そして「集」を行わないための具体的な行動である「止観瞑想」の実践をしましょうということです。

 

止観瞑想については次のとおりです。

歩きながらでも瞑想はできる? 「止観瞑想」のやり方

 

上記に詳しいですが、止観瞑想について簡単に説明しますと、要は四諦がどのようにして自分の中で発生しているのかを見るということです。

「苦」がどのように自分の中に存在し、そして「集」されているのかを観察し、いかにして「滅」するか、ということです。

そしてその具体的な実践方法を「止観」と言います。

止観は、「苦」を発生させる「集」、つまり自我(煩悩、思考)が働くことを止めるための取り組みです。

 

意識的に止観を行わなければ、すぐに自我(煩悩)が暴走を始めます。ですから、止観に意識を向けることが重要だとしています。

 

正念が主に「観」のことであり、自我の動きに気づくということ、正定が「止」について述べています。「止」は思考を止めるということですが、そのことに対する集中力を持って取り組むことが正定の考え方です。

 

まとめ

いかがでしたか。

今回は実践的な内容ではありましたが、少々堅苦しくて難しかったのではないでしょうか。

この辺りの理屈は、ぶっちゃけ悟ることと関係はありません。しかし、我々の自我というものはどうしても「理屈」が欲しくなってしまうものです。

このような「理屈」を学ぶことで自我を納得させることができれば、実践も進めやすいです。

 

ですから、いつも自我の妨害にあい「瞑想なんか何の役に立つんだ」「そんなことよりもっと楽しいことをしよう」と自我が騒いで悟りの学びに集中できない時、こういった考えを理解することで、自我を鎮め、実践を進めていくと良いのではないでしょうか。

▼この本で八正道で学べます。

悟りとは何か? 悟りとは科学的なものだった

悟りを開く

私は、人生において大きな苦労なく育ってきました。

 

しかし、

  • パニック障害という精神的な病に子供の頃から苦しめられてきた
  • 「食べる」ことが嫌で、そのために父から怒号を浴びせられてきた

という幼少時代からのトラウマがあります。

 

これらによる心のダメージは、人格形成に大きく影響を及ぼしていると思います。

 

そして大人になるにつれて生きにくさや、友人の借金の返済の手伝いなど、思い悩むことが増えました。

 

こういった心へのダメージから、本当にすべてのしがらみから去りたい、すべての苦痛、苦しみ、苦労から解き放たれたいと感じるようになりました。

そして、そのための逃げ道、苦しみからの逃げ道として、悟りを求めてきました。

 

悟ることができれば、楽になるのではないか、すべてのストレスから解き放たれるのではないか、と。幻想めいたことを考え、現実逃避をしておりました。

 

凡人でも悟りを開けることが分かった

あなたもそうかもしれませんが、私にとって「悟り」というものははじめ、何か神秘的な魔法のようなものだと考えておりました。

一般市民ではとうてい達し得ないような、達観した仙人にしか到達できない領域ではないのかと。

 

俗世間を捨てて、お坊さんになり、すべての欲を捨てて、山奥に籠もって、ひたすら修行をしなければならないのではないかと。

 

また、心がとても清くないとなれないとも思っていました。

 

人の苦しみを理解し、困っている人を助け、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の詩に出てくるような、そんな人でなければ悟れないとか考えていました。

宮沢賢治の雨ニモマケズ

そうは思いながらも、本を読んだりして、あるときは「いや、悟りは誰にでも到達できるはずだ。できなければおかしい」と考えたり「やっぱり悟るには、聖人君子でなければならない」と考えたりするなど、右往左往していました。

 

私がそういった疑念から晴れたのは、youtubeで、ある動画を観てからです。

それはこの動画です。

脳科学者のジル・ボルト・テイラー博士が、脳卒中になったときのお話です。

 

脳卒中になった彼女は、左脳の動きがほとんど止まってしまいますが、脳科学者としての見地から、その状況を克明に記憶し、それを説明してくれています。

 

彼女のお話は、まさに悟った人が話す内容と酷似しているんです。

この動画で私は「悟り」というものに実感を持つことができました。

 

悟りの仙人から、悟りの見地について話されても、私としては「それはあなたの妄想でしょ」という考えが頭を離れません。

しかし、脳科学者が悟りの見地と同じことを話していたとしたら、なんとなく信じられてしまいませんか(笑)

 

安易な考え方ではありますが、ガチガチに頭が固い私なんかは、悟りというものを理解するために、よりスピリチュアルな方面に向かうよりも、むしろ科学的な見地で説明された方が説得力があると感じるのです。

 

右脳、左脳、それぞれの役割におけるテーラー博士の説明

さて、それでは右脳、左脳がそれぞれどのようなものか、テーラー博士のご意見をきいてみましょう。

それはこの動画の3分40秒ごろに解説されています。

 

彼女曰く「右脳にとっては“現在”がすべてです」とのこと。

これはまさに悟った人がよく言いますよね。

「『いま、ここ』しかない」と。

 

そしてテーラー博士は「左脳にとっては過去と未来がすべて」だと言います。

これも悟りの先生がよくおっしゃいますよね。

「思考」や「エゴ」という言い方で。

 

エゴにとっては、現在よりも過去と未来が大事。

過去の失敗を思い出しては嘆き、未来はそうならないようにと努力する。

そのためには、いまはどれだけ苦しくても仕方がない。

全ては過去の自分を払拭し、明るい未来につなげるためだと。

 

そうエゴは私自身を説得しようと試みてきます。

そしてこのエゴの理屈は、至極もっともなんですよね。

このエゴの理屈には首肯せざるを得ません。

そうして、このエゴの言うことを信じて、私は30代まで頑張ってきたわけですが。。

 

ですが、それで幸せになれましたか?

 

もちろん、楽しいこともありましたし、いまも幸せです。充足し、満足した生活を送っています。

しかし、何かが足りない。欠けている。寂しい。辛い。悲しい。苛立たしい。妬ましい。羨ましい。

そういう思いがどうしても消せません。

 

その思いを消そうと、そして未来が幸せであるようにと、いまもひたすら頑張っているわけです。

しかし、いつまで経っても、その“幸せな未来”は来ない(笑)

いつになっても幸せは“未来”のまま、いまはつねに苦しいわけです。

 

そしてこのエゴ=思考=左脳について、テーラー博士はこう言います。

動画の5分20秒頃です。

「左脳は言語で考えます」

「その小さな声が私に囁きます『家に帰る途中でバナナを買うのを忘れないで』」

「計算的な知能が洗濯をするよう思い出させます」

 

これは左脳の良い面ですよね。機能的な部分です。

しかし一方で、この左脳のために、世界から我々は分断されているとも指摘しています。

 

テーラー博士が体験した、右脳がもたらす幸福の世界

右脳、左脳の働き

テーラー博士は脳卒中になり、左脳の機能が瞬間的に失われました。

そのときのことをこう語っています。8分20秒すぎからです。

 

「左脳のささやきが完全に途絶えました」

「まるで誰かがテレビのリモコンを取り、ミュートボタンを押したかのように全くの静寂になりました」

「すぐに周囲の大きなエネルギーに魅了されました」

「全てのエネルギーと一体になり、それは素晴らしいものでした」

「私はこの空間を親しみを込め『ララランド(陶酔の世界)』と呼んでいます」

「外の世界と自分をつなぐ脳のしゃべり声から、完全に切り離されているのです」

「この空間の中では仕事に関わるストレスが全て消えました」

「平安で満ち足りた気分になりました」

「想像して下さい。37年間の感情の重荷から解放されるのがどんなものか!」

「ああ! なんという幸福。幸福。とても素敵でした」

 

これです。

これこそが悟りの境地です。

 

もちろん、脳卒中を適切に対処できなくなるまでになってしまうのは問題ですが、少なくとも、このように左脳が止まり、右脳が活性化することでとてつもない幸福状態になることはご理解頂けたと思います。

 

我々にとって、目ざすべき悟りの境地はここだと思います。

 

これを科学者の見地だけではなく、僧侶の見解からもみてみましょう。

著書「怒らないこと」で有名なスリランカ出身の僧侶のアルボムッレ・スマナサーラさんもこの動画でおっしゃっています。

5分30秒ごろです。

「思考をやめるのは物凄い難しい」

「左脳が、何兆もの細胞が思考させるために構えているのだから大変です」

「しかし、ちゃんと頑張る(思考を止める)とだいたい2週間で成功します」

「思考を止めてみたら悟れます」

「たったそれだけです」

 

えっ!

思考を止めたら悟れるんですね!

 

「思考を止めたら悟れます」とあっさり言われて、とても私は勇気づけられた心地がしました。

思考を止めて、右脳に任せること。これが悟りの鍵なのです。

 

まとめ

悟りという状態は、私が思うに、 右脳による直感的な判断と左脳による論理的な判断のバランスがうまく保たれた状態のことを指すのだと思います。
 
 
しかし、現代人においては、そのバランスが崩れ、生活時間のほとんどを左脳に占拠され、左脳の言うままに動いてしまっているのではないか、ということです。
 
 
私は胡散臭いものは信じられませんので、この悟りがファンタジー映画のようなものであれば、今でも疑念を持っていたはずです。
 
しかし、テーラー博士による右脳の説明は、ほとんど神秘的なものですが、論理的であり、仕組みがよく分かるものでした。
 
 
繰り返しになりますが、悟るために重要なのは左脳の抑制にあるわけです。
 
そして、左脳を抑制するためには思考を止めること。
 
 
思考を止めることで、スマナサーラ長老がおっしゃるように、悟りを開けるのです。
 
あなただって、悟れるはずです。
 
一緒に頑張って悟りましょう!